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宇宙の片隅の記

なんについてのブログかよくわからないブログ

【映画感想】「ひるね姫」を直接ディスる

元々映画を観に行くときは事前に作品についての情報をほとんど入れずまたなんの期待もしないで行くのですが、4月1日ということで神山健治監督のアニメーション映画「ひるね姫」に行ってきました。1100円で観れる日なので批評なり感想なりを書くことでたとえつまらなくても元が取れればいいやという考えで行ったのですが、その通り大変つまらなかったので元を取るためにここで感想を書きます。

さて世の中には批評において作品を持ち上げつつディスるという褒め殺しのような芸当のできる方がいらっしゃいますが、私はそのようなことができないので箇条書きにて直接的に言わせていただきます。

(何らわかりやすく説明するように書いておらずネタバレ大ありです。また私は神山健治の作品でこれと東のエデンしか見ておりません。また記憶違い等はご了承ください ※一個人の感想です)

 

参照:ツイッターのでの#ひるね姫最速レビュー(一番下よりお読みください)

 

  • いきなり寓話的な話が始まる。このアニメは社会派の作品だからそのつもりで、というような冒頭。
  • 天空の城ラピュタからの引用、パロディ。しかし結局部屋に戻って寝てしまう。どうせならそのまま落下するか大空に向かって飛び立てばいいのに。何の意味があった?
  • テレビで現在は東京オリンピックの開催数日前であることが説明される。
  • 田舎のバス停前でVRヘッドセットを使っている男二人。指の動きがキモイ。今はこういう時代であるということを見せる意図なのだろうがそんなこと家でやったら?時代が進んでも外でVRを使うようにはならんだろ。
  • このあたりで既に気持ち悪さを感じていたので何故神山健治の作品は気持ち悪いのかということを考え始める。
  • やはり過剰なテクノロジー描写ということに思い当たる。「君の名は。」では田舎でもこの現実世界の日常と同様にスマホを使っているがテクノロジーを持ち上げるような描写はない。
  • 私は細かいシーンでも全体の中でこのシーンの意図はなんなのかということを考えるので悪学生が高校から逃げ出してココネがそれに石を命中させたりココネが同級生の女の子に抱きついたりするシーンをわざわざ見せる意図が不明である。
  • 髭の男がココネの家でタブレットを探すシーン、もっと緊張感を出さなければいけないはずなのにBGMがうるさいので緊迫感まるでなし
  • モリオの付き人感が半端ない。ココネを送り届けるだけの役割でバブル時代でいうアッシー君である。
  • 恋愛にも発展しないことがわかり切っているので行程に緊迫感なし。夢の中で瀬戸大橋の脇を飛ぶシーンも特に感動がない。せいぜい映像として頑張ってるんだなというだけ。魂が入ってない。
  • 自動運転のおかげで寝ている間に大阪に着いていた。
  • 魔法の携帯電話 魔法のタブレット
  • 魔法のタブレットのおかげで新幹線に乗り込めた。
  • まさかの魔法の携帯電話の再来。東のエデンでは追い込まれた状況を魔法の携帯電話の一言で解決したことにムカついたが同様の手法を使うとは!
  • タブレットに願い事を書くと突然弁当の箱が目の前にある。
  • モリオがVRヘッドセットでココネの母親とか自動車会社の情報を調べている。そんな情報VRを使うまでもなく目の前にある板で調べろよ! そんなもん持ち歩くよりはるかに板の方が持ち運び便利だろ(笑)
  • タブレットに書いたことが叶ったのは社員のような人間が裏で手を回していたらしい。いやそんなふうに種明かしをされてもそんなこと手早くできるはずがないし(怒)
  • エヴァ碇ゲンドウの露骨な引用。わざわざ自転車を漕いでいるのはどうしてだとか、ソフトとハードの関係云々はどういう意味なのかとか疑問があるが、肝心なところがつまらなければどうしようもない。
  • 247 : 見ろ!名無しがゴミのようだ!2017/03/20(月) 07:33:21.47 id:UziRssSd
    設定の理屈がわかってもつまらんもんはつまらんし
    設定の理屈がわからなくても面白いもんは面白い
    そういうことなんですわ
  • 2chスレッドから転載。これである。
  • いつの間にかココネが高いところから落下しそうになるのを父親が上から支えている。今まで何かの映画で何度も見たようなシーンでありこの時代にそれをやるか!?
  • 父親が自動車会社の標語である心根一つで人は空も飛べるというメッセージ的な言葉を叫ぶが登場人物が感情的感傷的パセティックに叫ぶシーンのある映画はクソである。
  • 二人とも落下するが自動運転の車がやってきて助かる。そんな機能あったの?自動運転スゴイ……
  • オリンピックは無事成功に終わった。これも自動運転のおかげであることがアナウンスされる。
  • 端的にいって自動運転称賛アニメ。神山健治あんた自動車業界の回し者かよ!
  • どうせなら東京オリンピック本番を舞台にやれよ。自動車会社の本社で大団円ってどんだけ狭い世界で完結してるんだ。エンタメとして頑張る気全くなし。
  • 神山健治は映画を作る上で根本的に間違っているのではと考え始める。
  • やはりこの人思想的に幼稚なのでは……
  • 神山健治に共感するとしたらおそらくバイクや車が好きなんだろうなという点のみである(東のエデンのスズキ スカイウェイブがモデルのバイクとか)。
  • 最後は祖父、父、娘の三人で家でスイカ食べてる。あんたらいつ和解とかしたんだ?人間を見せる気はまるでない。
  • この時代にこんな映画が作られるとは……とあきれ返る。
  • 冒頭の文明寓話的なシーンはなんだったの?どうやら社会派の作品ですらなかったらしい。
  • 勝手に忖度すると原発事故とかあったけど心根一つで人は空も飛べるそしてそれを実現するのは未来技術とテクノロジーである。  
  • テクノロジー楽観主義。そういった考えを持つのはわかるがそれを映画で言ってなんになるんだ?
  • 私はアニメによって描かれるファンタジー・ポエジー・メルヒェン・夢・神話の世界を評価しても(「崖の上のポニョ」「君の名は。」「千年女優」「思い出のマーニー」「レッドタートル」等々)、漫画的・アニメ的想像力のようなものは元々信じていない(例えばロボット同士が戦う世界のような)。だがこの作品はそのアニメ的想像力すら信じていない。参考 この映画における夢のシーンは単なる寓話にすぎない。
  • いいところを上げるとココネはまあ可愛かった。
  • エンディングで少し吐きそうになった。
  • クレジットでモリオの名前が主人公のココネの次に出てくる。ただの付き人なのに……
  • ココネは可愛いので最後は東京オリンピックを大団円に盛り上がる恋愛逃避行エンタメ映画にしたほうが遥かによかった。
  • エンディングの映像からこの映画の意図が明らかになる。
  • 最悪なのは主人公のココネが母親の存在を知ることでココネ自身がどう変わったということがテーマにならなければいけないはずなのにそれは全くといって描かれない! 娘を通してそこに死んだ妻の面影を見てなんとなく父親が変わったらしい、というような映画。だがそれすらちゃんと描かれていない。
  • そしてまた自動運転実験シーン。もう自動車会社に就職しては?
  • 教会でのキスシーン。ゲロである。
  • 興行収入ひるね悲鳴は草
  • 思い出のマーニーは神

 

(後日別エントリで記事を追加予定です)

【雑記】東京都立図書館~六本木サイゼリヤ

最近(といってももう二月のこと)東京に行ったときの話である。二日ほど時間が余っていたので図書館に行くことにしたが国会図書館がちょうど休日で、また既に前日に行っていたのでその日は東京都立図書館に向かうことにした。都立図書館は東京に住んでいたときは結構何回か行っていて、蔵書数が多く読みたい本はだいたいここで読むことができ、貸出はないが国会図書館とは違って本棚に普通に本が置いてあるので便利な図書館である。

都立図書館に入ると少し改装したのか館内の様子が変わっていた。昼になり腹が減ったので食堂に向かう。以前にあった食品サンプルがなくなり、メニューも少なくなっていた。時代の流れだと思うが、やっぱり不景気の影響なのかなあと思う。

前はこの食堂で食べる広東麺がとにかくうまかったのである。また五階からで眺めがまあまあいい(六本木ヒルズ元麻布ヒルズが見える)。その時は結局安めの天ぷらうどんにしたが、味のほうは確かなようだった。(ちなみに国会図書館にも食堂はあるが、そこでの私の昼飯の定番は売店で買う「俺の塩」である。お湯もちゃんと用意して食堂で食べられるようになっている。前日に行ったときにまだ売っていたので感動した。)

 

夕方になって都立図書館を出て、そこから歩いて六本木サイゼリヤに向かう。当時は都立図書館~六本木サイゼリヤというのが定番コースになっていた。ちなみに数年前に赤坂見附にファミレスのジョイフルができたので、現在国会図書館に行ったときはそこからジョイフルに行くという流れができている。

六本木に着く。だが残念ながら…… 

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店舗の場所が変わっていた!以前はファミマの二階にあったのが今度は地下になってしまったらしい。スペースは広いが、普通のファミレスになってしまっている。前の六本木サイゼリヤはいろんな人種(その通りの人種ではなく色々な境遇の人たちという意味)が入り交じる空間が好きだったのに、そうではなくなってしまったようだ。以前は窓の前に一人で座る席があり、そこで本を読むなどをしながら目の前の通りをぼおっと眺めているのが好きだったのである。

ただ移転後も一人用の席があり、そこにはなんと電源コンセントとUSBが付いている! コンセントはファミレスにあればいいなとずっと思っていたのだが、それがいつの間にか実現していたようだ。マクドナルドやカフェにコンセントがあるのは今では珍しくないが、ファミレスに付いたのというは実に画期的なことなのである。 

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ちなみにドリンクバーのコップはガラスではなくアクリル製になっていた。落としたときに割ってしまわないようにということだろう。これは今のところ六本木サイゼだけだと思うが、こんなところにも時代の変化を感じる。

青豆のクリームスパゲティを注文。なかなかの味である。私の前に座っていた人を見るとスパゲティにごま、三つ葉、タバスコ、ジャガイモを入れて食べていた。私もサイゼではスパゲティに色々混ぜて食べることがあるのだが、自分よりも強者を見た感じだ。

【雑記】水戸滞在 東山魁夷展~偕楽園

(今年二月の頃の話です)

数日間用があって茨城の水戸市にいたので、茨城近代美術館(水戸市)で開催している東山魁夷展に行った。

通常のブログであれば東山魁夷がどういった人物であるかといった説明をすると思うのであるが、そういったことは各自調べていただくことにして、絵は大変によいものだったのである。

私はたまにお宝鑑定団で見るくらいでほとんど日本画になじみがなかったが、障壁画に描かれているのは朦朧とした夢幻的な風景で、等身大サイズで大きいのでそのままの風景が目の前に広がっているかのように思われ、何度も前を行き来して見入ってしまう。美術館も千波湖の近くで、いい施設だと思う。やはり私は「場所」に関心があるのだなと思う。

 

美術館の近くに中村彝のアトリエという施設があり、中に入ってみる。それから職員の人に勧められて中村彝に関するビデオ映像を見た。このアトリエは復元されたもので、新宿落合にも同様のアトリエがありそれがオリジナルらしい。だが中の様子は少し変わっているという。二つの場所に同じ建物があるのはなかなかに興味深いので、後に行ってみるのもいいかもしれない。

 

その日夜、泊まっていたホテルに帰って来ると……

エアコンがつかない。フロントに電話するものの、別の部屋の空はないらしい。

コートを着てそのまま寝ることにした。

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寒い。

寒いよ。

 

ちなみに泊まっていたのは水戸第一ホテル別館である。偕楽園に近く、最上階に共同の風呂あり、無料の朝食が出るので結構いい宿ではあるのだが。

目覚めるとやはりだるい。朝食を取ってもだるい。その後もそのままのだるさが続いていたが正午前には回復してきたので、歩いて偕楽園に向かうことにした。水戸といえばやはり偕楽園である。ちなみに言わなくても皆わかっていると思うが、偕楽園であって快楽園ではない。(わざわざ指摘したくなるのである。)

右手に千波湖を見ながら歩く。なかなかにいい眺め。

途中の公園にSLの機関車が置かれている。そういえば前にここ来たことがあったかなと思い出しながら、運転室に上ってみた。スチームパンクいいなあ。天空の城ラピュタの前半のシーンを思い出す。見ていると想像力が働き、冒険活劇のような作品が作りたくなる。

 

それから偕楽園へ。偕楽園自体の入場料は無料。好文亭という古い家を見学するのには料金がかかるが、それでも払うのは200円だけ。

偕楽園梅まつりには時期がまだで、梅はまだ咲き始め。梅の見ごろにはまだだったが春の息吹が感じられ、なるほど立春といわれるのも故なきことではないなと思えたのだった。

 

【コラム】Dream Theater 魂のスピードの音楽

久しぶりにドリームシアターを聴いた(といっても数日振りくらいだが)。携帯音楽プレイヤーで曲のシャッフルをしていたら"Honor Thy Father"に当たり、そこから続けてConstant Motionを聴いていると、これが「魂のスピード」の音楽ではないかということに思い至った。(なおこの「魂のスピード」という語を用いているのは前エントリで書いたマンコマン氏である。)"Constant Motion"はTunnel vision at blinding speedと歌い出し、その後very soulという語が出てくるとおり(英語がわからない私にはvery soulがどういった用法なのかよくわからないのだが)、確かにこの曲は「魂のスピード」というような疾走感を感じさせるのだ。歌詞も好きで、駆動するままにどこまでも進んでいく、といった歌だ。ちなみにメタリカに似ていると言われる同曲だが、メタリカの曲をよく知らないのでどれに似ているかわからない。またこの曲の入っているアルバムSystematic Chaosは全体的に見るとあまり良くないのだが、Constant MotionやThe Dark Eternal Nighは単体で聴くことが多い。Honor Thy Fatherや他にはThe Count of Tuscanyの冒頭など、ドリームシアターのあの駆け抜ける疾走感が好きなのだ。

(ついでに書いておくと超絶技巧や個々のメンバーのテクニックが称賛されることの多いドリームシアターだが、ドリームシアターの曲は単純にメロディが美しいと思っている。誰も言わないのだが。)

だが残念なのは、今のドリームシアターからそのような疾走感がなくなってしまっていることだ。原因はやはりマイク・ポートノイが抜けたからだと思っている。私が本格的にドリームシアターを聴きはじめたときにポートノイは脱退してしまっていたのだが、もうあのような曲が作られないと思うと本当に残念だ。ポートノイ脱退については各自意見があるところだと思うが、どうか戻って来て欲しい。

マンコマン氏と実存 虚構とキャラクターとの関わり

あまり内輪的な話は書きたくないので他の人にも読める内容にしたいものの、説明的に書くのが苦手なので事情がわからない人にはこの記事の内容がまるで何のことやらわからないかもしれないと危惧を覚えているのですが、そういった方は問題意識だけでも感じ取ってもらえると幸いです。

さて多くの方はタイトルにあるマンコマンって誰?と思われると思いますが、そういった名前でツイッターツイキャスをやっている方がおられるわけです。

それで先日もマンコマンさんのキャスが突発的に始まっていたので途中から聴かせてもらい、私もコメントをしていたわけですが、そこで重要な問題が提起されていたので感じたことをまとめておこうと、このブログ記事を書き始めたという次第です。(ちなみにマンコマンさんのブログ http://lineblog.me/manko_man/

私などいわゆるオタクの教養が足りてなく、また最近のアニメからも離れてしまったのでマンコマンさんのいうエロゲやアニメの話などわからないところも多いのですが、マンコマンさんはオタクは作品をベタに読みすぎると言っていて、作品批評に対して「メタ」な視点を持っておられます。

先日のキャスでマンコマンさんはキャラクターについて「二次元は三次元、三次元は二次元」と言い、まるで禅問答のような言葉が語られていましたが(笑)、この言葉はキャラクターだけでなく作品そのものに対しても当てはまると思うのです。

つまり、現実と虚構との関わり合いといった問題です。これはフィクション論という分野のテーマであるのですが、私がフィクション論に興味を持っているのもまさにそうした問題意識からなわけです。(フィクション論は日本ではまだほとんど知られていないようなのですが、いくつかの関連書籍が出ています。)

余談ですが最近新刊の出た村上春樹も現実と虚構の関わり合いを意識し、自分の知る範囲では『村上春樹河合隼雄に会いにいく』などで言及していました。それで彼は『アンダーグラウンド』などで実際にあった事件に迫ろうとインタビューなどもしている訳です。

さて単に現実と虚構の関わり合いを問題とするなら、二次元・三次元といったオタク的文脈で語る必要はないのかもしれません。では敢えて「オタク」としてフィクション作品と関わるとはどういうことなのでしょうか。

ここではアニメを取り上げますが、アニメは実写ではなく描かれた絵でもって表現する手段として、最初から虚構性が強いメディアではないかと思うわけです。その最もたるものが実在の人間ではなく、極端に目が大きく造形された二次元キャラクターです。そうして一般には存在しないキャラクターまたは作品世界に対して我々の側から感情移入がされるとき、その世界が現実の我々とあまりにも乖離するが故に、次の段階ではいわばモニターの側から逆照射がなされ、ここにいる我々自らの実存が否応なく意識されることになるのです。

そうして問題は我々のあり方に向かい、そのため語られてきたのが本田透の『電波男』をはじめとしたオタク論ということになるのでしょう。そして避けて通れない、というよりは中心的なテーマであるオタクと恋愛、セクシャリティの問題が浮上します。単にオタク論というと今ではもう古臭くなってしまった感じがしますが、『電波男』にあるのはまさに(オタクや本田透自身の)実存の問題であり、その点でこれからも読み継がれるべきだと思います。

なお虚構への関心がキャラクターではなく作品の舞台のほうにいく場合もあり、その場合のオタクの行為は「聖地巡礼」として現れています。聖地巡礼も私にとっては興味のあるテーマです。

さて私などは粋がって自分のことをオタクではないと思っている訳ですが(笑)、オタクをキャラクターおよびフィクション、現実と虚構との実存の問題で捉えるなら、私はオタク的問題の只中にいるともいえる訳です。

ですがオタクがオタク的であるのはやはり「逃避」の意味合いが強く、作品を「消費」し、キャラクターに「萌え」、また一方最近ではオタクのほうでもカジュアル化し、一般層に開かれた趣味的なものになっています。そうした消費するあり方を批判する気はないのですが、同時に実存の問題として捉えていくしかないのではないかと思うのです。

 

話をマンコマンさんに戻します。私がすごいと思ったのは、マンコマンさんは作品批評に対してだけでなくそうしたメタな視点を持って自らの実存を語っておられる点です。

マンコマンさんはときどき「死とは」とツイッターでもつぶやいておられるのですが、キャスでの話を聴いているとその通り死の影を意識しておられるようです。ですが一見明るく、あんなふうに自らの実存を語れるのは自分からすれば真似できない芸当で、それは本当にすごいと思うところなのです。私などはエヴァでいう「ATフィールド」の壁が厚く、マンコマンさんのように率直に語ることはなかなかにできずにいます。

先日私は弟とホビーオフに行ったのですが(自分ではフィギュアは買わないものの、たまに行って眺めてくるのはそれなりに好きなのです)、あのおもちゃやフィギュアに囲まれた空間に行くといつも、自分はこのまま歳をとり、死んでいくことができるのかといった漠然とした感情を感じるのです。

そうした感情が現れるのは個人的な事情が大きいのですが、自分を取り巻く状況が何も変わらないままフィギュアなどが展示された空間にいると、ただ歳だけを重ねているという思いが年々強くなってくる訳です。

東浩紀が言及したことだと思いますが、キャラクターは歳をとりません。いってみれば彼・彼女らは不老不死な訳です。キャラクターと向き合うとき我々はそうした存在と向き合っている訳であり、また我々と作品世界との間の溝も依然として存在します。実に我々と虚構世界の間には計り知れない深淵が横たわっているのです。(ミヒャエル・エンデの小説『鏡のなかの鏡』の12番目の話では虚構世界と現実世界の深淵が表現されています。)

では我々はキャラクターや虚構、アニメ的虚構に対してどう接していけばいいのか。この溝を乗り越えるには(実際には乗り越えることはできないのですが)、やはりフィクションに対してメタな視点を持ち、批評的に虚構世界に関わり、同時にキャラクターに対しても同様に自らの実存との関わり合いを考え、対峙していくことしかないと思う訳です。(消費するあり方と批評することの問題は東浩紀の「萌えの手前、不能性にとどまること ――『AIR』について」という文章に現れています。)

ただここで論じたようなことはやや前時代的な問題であり、上に記したように特にこだわりなくカジュアルにオタク的作品に接するといったあり方のほうがもしかしたら今では主流になっているのかもしれません。そうして過度に入れ込まないように虚構世界に接していくのもまた一つの態度でしょう。

ですが私などはやはりマンコマンさんのいう「世界の真実」を追い求めていくべきだと思うし、そうした志を抜きにして次世代の文化を作ることはできないのではと思うところです。私はオタク文化やオタクカルチャーといった言葉があまり好きではないのですが、作家の辻村深月にネオカル日和というエッセイがありますが「ネオカルチャー」としてのアニメや漫画、ノベルゲームなどを含んだ新しい文化を作っていくべきだと思うのです。

 

さてここからはキャスであった内輪的な話です。もはやどうでもいいことのようですがツイキャスで答えられなかった事柄があって一応書いておきたいので書くと、 マンコマンさんの二次元に三次元を見るという考えに私は完全に同意していて現実にいそうなキャラクターが好きとか書いたんですが、私がそうした恋愛脳(笑)なのは個人的な事情で、あまり世代的なものではないと思います。世代でいうとマンコマンさんのいうオタク第三世代(エヴァブーム)の頃は二次元や萌えという言葉が生まれる前なので、逆にあまり二次元・三次元という区分は意識されていなかったのかもしれません。

ちなみにマンコマンさんは宮台信者とのことで、これもキャスのコメントで私はけいおん立花姫子が好きとか書いてマンコマンさんにもそのキャラは可愛いと思うとか言ってもらえたんですが(笑)、立花姫子といえばルーズソックスを履いていて一見当時のギャル的なものを思わせるキャラクターです。宮台といえば援助交際やらブルセラやらの論で有名になった人ですから、もしかしたらそんなところに関連があるのかもしれません。

あとココロコネクトに対して永瀬伊織だけでなく茶髪も好きとコメントしましたが、そのキャラクターはメインの桐山唯ではなく、瀬戸内薫というキャラでした。(誰もこんなモブキャラの名前は知らないと思いますが……)松岡江に関してもそうだけどどうも私はモブ的なキャラクターのほうに思い入れがあるようです。

なおココロコネクトといえばアニメは見たもののラノベの方は途中で脱落してしまったんですが、もしかしたらメサコンの問題として読み直せるのかなと思ったんですが、まあもう読まないでしょう。メサコンに関してはこの記事の前から別の文章を書いているのですが、書き終わったらいずれ公開しようと思います。

4DX行ってきた

ずっと行こうと思っていた4DXの映画に行ってきた。観たのは『ドクター・ストレンジ』劇場はユナイテッド・シネマ、金曜日が会員デーなのでメンバーズカードを作ると安くなるためそれを作り、料金は計2900円。高い。席はどの席にしようかと迷ったがシアターのちょうど真ん中の席にした。 観客はほとんでいなくてほぼガラガラ。

 さてツイッターで上のような感想があったので行ったのだが、確かにいくつかのシーンは空間が横倒しになるエッシャーしていたが、それだけかなあ。最後は今後も続編を作る気があるような終わり方。

ストーリーの方はよくわからなかった。アクションが嫌いではないものの、どうも私はアメリカ映画のああいったアクションSFっぽいのが苦手なのかもしれない。どうも皆テンプレ的に作っているように思えてくるのである。

それはそれとして以下4DXと3Dについて

 

・映画が始まる前に本編とは関係のない映像で4DXギミックの洗礼を受ける。

・ウォッシャーはOFF推奨。メガネに水滴がかかる。だが誰もいないと自分と隣の席をOFFにしてもさらに遠くの席の水が飛んでくる。

・シアター内は暖房で少し暑いのに、時々ギミックで吹いてくる風が寒い。

・メガネの作りが少し雑。左右の耳をかける位置が合わないので上映前に壊さない程度に矯正していた。前にアバターを見たときはもっとしっかりしたメガネだったと思う。映画館によるのだろうが入場料が安くないのでここはちゃんと作って欲しい。

・3Dはやはり前の席がいい。もう二つくらい前の席でよかった。

 

まあ結論は、4DXはいらん。

 さすがにもう行かなくていいなあと思いました。やはり+1000円は高すぎる。最初は少し驚きましたがあとは椅子がただ揺れてるだけです(たまに肩や背中も叩かれます)。まるでマッサージチェアのよう。ただ3Dには行きたいので4DXでない3Dの上映にしてほしい。3D単体での上映がなく、3Dを見たければ4DXに行くしかない状況というのは厳しい。

 今ある映画は3Dの映画も2Dと同時上映であり、従来通りの2Dの文法(演出)で作っていると思う。だが3Dに特化した映画というのを見たいのである。ドクター・ストレンジを見て思ったことだが、車を操縦しているシーンで一人称的に運転する視点が続くのだが、それがリアルで自分が運転しているような感覚を味わうことができ、ずっと見ていたい。ところが普通の映画と同じようにすぐに画面が切り替わり別の視点になってしまうため、それがフラストレーションになってしまうのだ。これは他の多くのシーンにもいえる。3Dはやはり一人称視点に向いていると思う。2D版を作らない完全に3Dに特化した映画を制作し、3Dならではの演出を考えるべきである。

あと映画館内に劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-の宣伝があったのだが、3DでVRMMOものの作品を見てみたいと思った。たぶん向いているのでは思う。なにせVRMMOという別の仮想現実にダイブするという設定が3D映像そのままのギミックに当てはまるのだから。バトルシーンなどはうまく演出するときっととても面白いものができるはずだ。このジャンルで自分の納得のいく作品がないので是非とも作って欲しい。

そういえばゴダールの作った3D映画『さらば、愛の言葉よ』ってどうなんだろう。どこかの劇場でやらないだろうか。

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【ラーメンレビュー】なんつッ亭の「ぼくの空」ラーメン

このブログで特にラーメンレビューをするつもりはないのですが、まあチェーン店の店に行ったので他の人にも役立つかもしれないと思いレビューします。

行ったのは「なんつッ亭」です。日清からカップラーメンが発売されているので食べたことのある人もいるかもしれません。

実は以前にも一回行ったことがあって、その時食べたのは普通のラーメン、なんつッ亭売りの黒マー油ラーメンです。ですがあまり感激しませんでした。というのはもやしが入っていたからです。私は二郎系以外のラーメンにもやしを入れるのはよくないと思っています。とくに炒めていないシャキシャキのもやしはよくありません。量が増すばかりで、もやしによって水分が増し、ラーメンの麺とスープに合わないように思えるからです。考えなしにもやしを入れている店はごまかしの手段にしか思えません。

それなのに今回行ったのは店が近いこともありましたが「ぼくの空」というラーメンがありおいしそうだったからです。これは魚介系のスープで、もやしが入っていません。かわりに玉ねぎが入っています。ラーメンに入れる玉ねぎは好きです。触感はシャキシャキですが。

 店に行くと行列にはなっていなかったものの、注文してからそれなりに待ちました。店内の言葉にベイビーとか書いてあるセンスが嫌ですが気にしないことにします。

ランチタイムサービスがある時間で麺大盛り無料、煮玉子、半ライスが無料で選べたので、煮玉子にしました。また下の写真の左側の具は肉のそぼろのようなものです。 

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 おいしかったです。ざらざらの触感の魚介系のスープが好きな人なら普通に薦められるラーメンだと思います。やはりサービスは半ライスにすべきでした。ラーメンと同時にレンゲでご飯を同時に食べればさらによかったかも。あのスープにご飯は間違いなく合うと思うからです。