宇宙の片隅の記

まだ動けない

人生が失敗する根本原因について

クレジットカードの明細を見て驚いた。思ったよりずっと使っていたのである。
そしてまた私は絶望に陥ってしまった。絶望したのは余計に金を使ってしまったこともそうだが、また同じような失敗を繰り返してしまったことにである。 

バイク(数年前にジャンクで買ったスーパーカブ)のレストアをしていたのだが、これがうまくいかなかった。部品の発注は間違えるし、とにかく作業が面倒くさい。それでやりかけのまま放置してしまったのである。(もう向いてないことがわかったので、今後バイクの改造等には手を出さないことに決めた。)

私は作業を途中までやりかけて、中途半端なところで投げ出してしまう悪い癖がある。それも物事が80パーセントくらい終わった時点で投げ出してしまうのである。このブログの記事でもそうやって書きかけて、完成まであともう少しなのに公開していないものがいくつもある。(それはあまりにも完璧を求めてしまうせいもある)
ゲームでも思い当たることがある。数年前にファイナルファンタジー3をプレイしていたのだが、(新型ファミコンで、実機でやっていた)途中で攻撃を喰らわせると分裂してしまうモンスターがいるのだが、攻略法はわかるもののその後プレイするのが面倒になり、なんとなくそのまま放置してしまい、そのままやらなくなってしまったのだ。これは単に思いついた一例で、ゲームだけなら実害はないかもしれないが、他の場面でも同様にやるべきことをやらないで投げ出してしまうことがあまりにも多く、こうしたことが積もり積もって、実人生に影響のあるレベルで足を引っ張ることになってしまっているのである。
(もっとも大体のゲームはクリアするし、縛りプレイのような遊び方をしても最初から最後まで楽しく、やり遂げたことも多い。そうした場合は努力できる楽しさを実感するのだが……)

私の面倒くさがりなところといえばちょっと異常で、もう障害と呼べるレベルではないかと思っている。例を出すと、ヤフオクで自分が出品者だとした場合、取引は責任があるからすぐに発送もするしそこはちゃんとやるのだが、その後相手を評価するのが面倒で、ただ文章をコピペして数クリックするだけなのにしていなかったり、そんなレベルである。

そうした欠点はとっくにわかってはいたが、それこそが(あくまで自分の場合であるが)、物事がうまくいかない根本原因だとこの度実感したのである。
こうした事柄が積もり積もって、明確に足を引っ張るようになり、何もやる気が起きなくなっているのではないかと思ったのだ。

どうすれば人生がうまくいくのかとずっと考えていたが、闇雲に努力しても無理なときは無理で、失敗を繰り返すともう何も努力すること自体ができなくなってしまう。船の向かう方向に逆風が吹いていた場合、どれだけ頑張って努力をしても、なかなか前に進むことができない。調子のいい時はそれでも楽しく努力すること自体を楽しむことができるのだが、すぐに憂鬱の要素がやってきて、また船を転覆させてしまう。そうなればもう何も手に付かなくなってしまうのである。
なによりも私がそうなのであるが、まるで魔女の森に迷い込んだように、同じ失敗を繰り返してしまう人がいるようなのである(私はそれを、「魔女の呪い」と喩えて言いたいような事柄に感じてきた)。だが繰り返しの失敗を重ねることによって、何が問題になっているかという根本の原因に、気づけるのかもしれない。

だがたとえ気づいても変えるのは難しい。難しいが、これは自分の行動次第で変えることのできる事柄のはずなのである。
人間はそれぞれ生まれた時から自分を取り巻く環境が異なっている。外から降りかかってきてしまう不幸ももちろんあるし、人生に決まった攻略法が見つからないのは、それぞれに攻略法が異なるからである。だがもしかしたら自分で変えることのできる原因に気づくことができれば、状況を変えることもできるのではないかと思ったのだった。
そのため状況を改善するには、まず根本の根本を認識し、そこから変えていく必要があると考えたのだった。
とにかく私の場合は、「割れ窓理論」と同じように、小さな事柄をおろそかにせず、きちんと最後までやり、あきらめることはあきらめもう今後手出しをしないようにする、ようにしようと思った。
なかなかまとまりが悪くこの文章ももちろん途中で書いているときにやめたくなったが、とりあえず決意を忘れないようになんとか書いておこうと思ったので、これでいいのかという感じではあるが、やっぱり公開することをやめたいし、またこれは言い訳である……

ファンタジーについてのつぶやき

アーシュラ・K・ル=グウィンが亡くなったらしい。それに関連してほとんど関係のないことをいくつか。

『闇の左手』がamazonのベストセラー1位になっている。(通常1~2か月以内に発送します、とある。すでに在庫不足らしい)。ル=グウィンといえば他にも『オールウェイズ・カミングホーム』や『ギフト』など、図書館と書店で見かけただけだったが、なかなかに大変そうな物語であった。

ゲド戦記アースシーのシリーズ)は三巻まで読んだだけで自分にとってはそんなに感激しなかったが、それはロマンチックラブ物語ではないからなのだろう。

ファンタジーとフェミニズム。ファンタジーを巡ってル=グウィンカズオ・イシグロとバトっていたらしい。カズオ・イシグロは去年ノーベル文学賞を受賞したためこのまえ書店に行ったらコーナーができていた。『忘れられた巨人』だったかは忘れたが本の頁をめくってみた。なかなかに大変である。

ということでル=グウィンカズオ・イシグロに少し興味が出てきたのだが、こういうのはすぐに読まないと興味が逸れてすぐに忘れてしまう。

ミヒャエル・エンデの物語においてエロスがほとんどテーマにならないのはどうしてだろうと思っていた。『ジム・ボタン』の最後の結婚式は子どもの遊び的なもので、『モモ』のモモに対するジジの愛情も可愛らしいものだし、『はてしない物語』では「まことの意志」を求めるバスチアンの意識に上ることさえなく、『遠い旅路の目的地』(『自由の牢獄』の中の一篇)では単に相手を利用しただけで恋愛といえるような描写はなく、他に性的な事柄を匂わせるものは『鏡のなかの鏡』の娼家の描写くらいで、ほとんど皆無といえるくらいないのである。
というのはドイツ・ロマン派においてエロスはもっとも重要な、中心的なテーマであり、ノヴァーリス『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』、ETAホフマン『黄金の壺』はもちろん、プロイスラー『クラバート』(これは近世の作でもちろんロマン派文学ではないが)だってそうなのである。ドイツ・ロマン派を魂の故郷とし、ドイツ・ロマン派の末裔としてのエンデにしてはこれはいかにも不思議に思える。 
身も蓋もない答えとしては、エンデは実生活においてその方面で不自由しなかったからだという感じがするが(そのあたりのことは『ミヒャエル・エンデ―物語の始まり』(ペーター ボカリウス)で明かされている)、エンデは物語を書き始めるにあたりまずはエロチックともいえる興味が沸いてこなくてはならないと言っている。つまりエンデにとってはファンタジー世界こそがエロスの対象だったということなのだろうか。

それにしてもなぜファンタジー、なぜファンタジー小説なのだろうか。ここではドイツ・ロマン派的な、またミヒャエル・エンデにおけるファンタジーの理念について述べる。『はてしない物語』のなかに(いかなるか、これ、ファンタージエン?という問いに対する答えとして)『ファンタジーエンとは、はてしない物語である』という一節があるが、同様に言うと、
「ファンタジーとはポエジーの表出である」といえる。
ポエジーを纏った理念が小説という形式に定着するとき、必然的にファンタジーという形態をとって現れるのである。ノヴァーリスは見えるものだけを書くと書き、エンデも同様に言っているが、ファンタジーは最初に〈設定〉が作られるようなものではなく、まずもってヴィジョンとして現れなければいけないものであったはずである。*1

マニ教』(青木健 著)を呼んで以来「神話的表象」という語が気に入っているのだが、自分が好きな作品の傾向はこの一語で表せる気がする。

*1:もっと個々の事柄について、例えばポエジーとはどういった概念なのだとかわかるように書いた方がいいと思うが、人にわかるように説明することが本当に苦手なのである。とにかく面倒なこともあり、何かを説明するのならもうすでにその内容について書かれたものがあるのだからそれを要約するよりも、「これ読んで」と本を投げ出して終わりにしたいように思うのである。やはり私が考察的な記事を書くのは向いてないのではないかと思う。あと単に思いついた連想を追っているだけなので、思考は同じところに留まららず深いところに入れないが、まあ仕方がない。

去年の出来事と反省

遅すぎる。

文章が書けなくなった。

ここのところずっと虚無感が酷い。

リハビリ的に何か書いた方がいいと思うので書く。

去年はツイッター経由で人と会っただけの一年だった。といってもマンコマンとそれからまた彼と一緒に周辺の人々だけであるが。

マンコマンと会ったのも彼が今後いつ死ぬかわからないというので、このまま死なれてはかなわんと思い最初は仕方なく会ったのである。

ぐらん、いろは、美冬さん、皆一番最初会ったときは目を合わせてくれなかった。

だが俺は握手をしたりして米国式のフランクな挨拶がしたいと思う。

保護者(マンコマン)がいないと人に会えない。

みんたむとは会えずじまいだった。

もはや今後誰とも会えないのかもしれない。積極的に会いたいわけではないが。

誰かがコミケに出品してくれるとか自分が出ればチャンスはあるかもしれない。コミケで会うのは少し挨拶して別れればいいだけなので精神的にも楽だと思う。

実際に失ったものとこのようにできたのではと想像しては消えていくものが可能性の墓場のように日々積み重なっていく気がする。

ツイッターのようなつぶやきしか出てこない。

糞エントリが増えていくだけなので、そのうち消したほうがいいかもしれない。

ブリューゲル展に行けなかったのを今でも後悔している。好きな画家のはずなのに。

茨城・しもだて美術館ミュシャ展に行けたのはよかった。怖い絵展に行けたのもよかった。(怖い絵展の行列はそれほどでもなかった。展覧会の内容は絶賛するほどでもないが悪くなかった。)

最高だった2016年の夏のツーリングに比べ去年は不完全燃焼に終わった。雨に当たることが多すぎた。琵琶湖近くのスペースにテントを張っていたら夜中に雨が降ってきた。慌ててテントをたたんで朝の四時ころにネカフェの快活クラブに避難した。次の日のヤンマーミュージアムとか長浜市観光はまあそれなりに楽しかった。

バイクの整備や改造に関して少しだけど情報を発信できるのでは思ったものの何も書けていない。別にバイクブログを作ったほうがいいかもしれない。

雑記カテゴリが多すぎる。本当は何かについての真面目な考察やもっと思想的なことを書きたい。

WordPressで別ブログを作ったほうがいいのかもしれない。統一しない文体と内容で書いていると人格が分裂する気がする。

神秘主義、スピリチュアル本を再び読み始めたい。

夢日記をつける、瞑想をする。

いつかの魂のスピードを取り戻したい。

創作がしたい。

2017年公の雑感

このツイートの通りだと思った。
オルタナティブ・ファクトの時代であり、力関係によって事実がその通りにされる、という時代に本格的に突入してしまった。
ますます世界は不透明さを増していくようだ、とテロに関連してBSのニュースでコメントがあったが、あれはいつだったか、それを聞いてから「世界の不透明さ」は世界情勢についての実感になってしまった。
いつ世界は本当によくなるのか、と思うが私が生きているうちに世界が前より良くなったという実感が訪れることはないのだろう。 

そして平成が終わるらしい。平成とは如何なる時代だったのか、といっても昭和のあとにやって来たというだけで、本当に何もない。「大正」というと明治と昭和の間に挟まれて何かぼんやりとしたイメージだったが(なにせ15年しかない)、平成もそんな時代になるのかもしれない。といっても大正ロマンという言葉はあるが、平成ロマンなんて何もない。「失われた20年」(失われた30年)とぴったりと重なり、終わりに向かって進んだという感じしかない。(ただこうした時代の区切りで物事を語るのが恣意的なのは言うまでもない。)
1964年東京オリンピックは日本の繁栄の象徴になったというが、2020年東京オリンピックは逆に日本の衰退の象徴になってしまうのではないかと思う。そうならない方がいいとは思うが、衰退どころか更なる波瀾や混沌が待っているのかもしれない。  

他に今年のニュースといえば、福井の九頭竜川に小型機が不時着したことだ。これは少し驚いた。
そのくらいだろうか。

映画『イニシエーション・ラブ』感想

原作は読了済み。

何故か映画の『イニシエーション・ラブ』と『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』が見たくなりTSUTAYAに借りに行ったらぼくは明日~のほうは貸し出し中だった。かわりに未だ見てないのでうる星やつら2 ビューティフル・ドリーマーを借りようとしたのだがDVDの傷を復旧中ということで無理だった。毎回とりあえず見ておこうと思って借りようとするのだが何故かいつも借りることができない。ファックである。結局他に(実写の)『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』を借りた。

映画イニシエーション・ラブは心地よい絶望を味わわせてくれると期待したのだが、結局クソ映画だったので特に感想はない、が少し書く。

(以下ネタバレします)

 

映像化不可能といわれたこのトリック、どうやったんだと思って見てみたら、うーん……事実俳優が同一人物でないのを同一人物と誤認するのは難しい……

ところどころ出てくるキラキラ演出はなんだ?

sideBが長すぎる。逆にsideAは駆け足すぎ。同じ分量にすべきだった。

sideAのオタクのたっくん(別にオタクではないが、さもそのように描かれている)ではなく、松田翔太を立たせなければいけないからなのか……

どうせならオタクにもこんな恋愛ができますよ、こんな彼女ができますよと夢を見させて最後は破綻して観客を絶望の底にまで叩き落とす映画にすべきだった。

『旅の贈りもの 明日へ』が福井のご当地映画であるように静岡のご当地映画を期待したが、そういった映画ではなかった。

ちなみに全てのロケを静岡でやったわけではないらしい。

この映画は仕掛けがありますという前置きも最後の解説も視聴者にわかりやすくといった趣向でかえってバカにされているようで不快である。

自分がこの小説を映画化する方法として考えたのは、(どうせ何をやっても原作を変えざるを得ないのだから)、大変似ている人物(例えば双子のような)にやらせるというのはどうだろうか。最後はその二人が対面するホラーなエンディング、というのを考えた。

原作のマユは悪女。逆に原作では主人公は悪く書かれていない。

悪女役なら前田敦子ではなくどうせなら広瀬すずがいいのではと思った。

結局原作のほうがいい。というか原作超えした映画というのはあるのだろうか。(アニメの四畳半神話体系は確実に超えたと思うが)

乾くるみは作中の女性の扱いがひどく女性不信に思えるという2chのレスがあったが全部読んでないのでわからないがそうなのだろうか。ご自身は今はAKBにはまってしまった……

乾くるみの小説について。『セカンド・ラブ』は悪くなく結構面白い。

『リピート』もなかなか面白い。

『スリープ』は最高傑作。SFミステリーであり大変おすすめである。

スーパーファミコン『魔神転生』メモ

SFC魔神転生』メモ 

デフォルトの名前がないのでそれっぽい名前ということでヒトキとカナにした。ヒーローは長髪なのでエグチとかヨウスケにしようと思ったが、しないでよかった。

さてこのゲーム、音楽が素晴らしい。魔神転生2のほうが評価されているがこちらも大変よい。味方ターン敵ターン、ニュートラルターンにボス線、ラストダンジョン、それにフィールドマップの音楽も短いが何故かとてもいい。青木秀仁は神。今では一番好きなゲーム作曲家になってしまった。しかしもはや故人ということを知る。

ヒロインのグラフィックが戦闘時は爪を持っていて恐ろしい感じだがイベント時の顔グラは割とかわいい。真・女神転生2のベスにやや似ている。

 

攻略のポイントなど

運のパラメータが上がれば敵がドロップするアイテムを格段に取りやすくなるのでオーラのブーツが早めに入手できるとよい。

最も貴重な宝石はガーネット。魔王ミノタウロスから入手せずにオーラ装備を二つ作った場合、エクスカリバーを作るためのあと一つが終盤まで入手できないので、ロードを繰り返してミノタウロスから取ったほうがよかった。

霊鳥と邪龍対策に神獣二体を作る。特技もあばれまわり、おしつぶし等を覚える。ただ神獣は移動力がなさすぎるのでピンポイントで出したりして使う。

イザナミに会い鬼神四体、天使四体は必ず仲間に。難易度が大幅に変わる。天使ラファエルを仲間にするためにシナリオ29クリア時に装備を含めてでいいのでヒーローの魔力は必ず15以上にしておく。

他に仲間は飛龍二体と麻痺・毒対策の女神が一体いれば十分。中盤はイベントで仲間になるケルベロス、鬼神、天使が強くビシャモンテンとミカエルは最後まで使える。他悪魔は移動にマグネタイトが減ることもあり無理に作成する必要はない。

素材として仲間にするべき種族は龍王。合体で神獣と飛龍のローテーションができる。ニュートラルと会話して仲間にするのが楽。

魔神転生なのに魔神がそんなに強くなく普通の敵ユニットとして出てくる。

最初はMPが低いこともありヒロインはあまり強くないが最後は最強になる。やはりリムドーラが強すぎるが、終盤はこれがないと厳しいというかかなり面倒。

逆にヒーローはHPが高くなかなか死なないだけの最弱ユニットになる(攻撃力が低い)。しかし強い仲間を入れるためレベルを上げざるを得ない。

速さのパラメータは上げると回避率が上がるがなぜか同時に被クリティカル率(敵に攻撃されたときのクリティカル率)も上がるらしい。速さはオーラ装備の効果で上げるだけで十分か?

ラストダンジョン付近はもはや戦闘が面倒なのでほとんど敵と戦わずに抜けた。敵はワープホールを使うことができず追って来ない。ヒーロー、ヒロインの他にディアラハンが使えるミカエルと一緒に行動するとよい。

シナリオ55クリア後にミカエルが仲間から消えるという情報があったが消えなかった。バグでありROMのバージョンによって対策がなされたのだろうか?

トゥルーエンドの条件が難しい。セーブが二つしかないので一度に自力で見るにはエンディングを見たらデータを消す必要がある。条件はここを参照。

攻略法さえわかっていればバランスは悪くないゲームであったと思う。

 

~ここからネタバレ エンディングについて~

エンディングは割とどれも面白かった。TRUEエンドを見るためにシナリオを攻略していて、ラスボス戦の前にYouTubeでバッドエンドとノーマルエンドを見てしまったが、意外にも面白かったのでやはり自力プレイで見るべきだったかもしれない。しかしやはり面倒すぎる。(戦闘は基本オートで任せっぱなしの真・女神転生と違いSRPGはどうしても考えることを要求される)

どのエンディングでも最後オープニングの曲が流れるという演出。これは魔神転生2のラストダンジョンの曲としてアレンジされており宿命の曲のようである。

トゥルーエンドはもうちょっと何か欲しかったが音楽のおかげもあってやはり割と好きである。

トゥルーエンドはエンドクレジット後に続きがあり、ヒロインは黎明とともに〈あけのみょうよう〉によって復活するというどこかで見たことのあるような気がするがでも個人的には何故か切ないようなリアリティが感じられるエンディングだった。

最後に流れるBGMはActual Feeling... Youという題名で、ノーマルエンドではヒロインは霊体のような状態で現れるがそれを踏まえ逆にそうではなくヒロインの台詞に現れているように本当に復活して実感がなされたということなのだろう。

 

次は更なる鬼門ゲームの魔神転生2だ……