宇宙の片隅の記

神秘主義的思考により世界・社会・実存について考える

ラーメン二郎を訪問した(再び)

(この前の記事でスターを送ってくれた方すみません。もう少し文章量を増やしたいので記事を引っ込めてしまいました)

ブログで書きたいことはそれなりにあるものの一向に文章を書く作業が捗らないので一度身近な出来事について書くことにした。

時間があったので最近ラーメン二郎を訪問した。といっても初めてではなく二郎に行くのは実は二回目である。一度三田本店に行ったことがあるのだが、胃が全く空の状態で行ったためジロリアンには申し訳ないが食べ終わったあとに吐いてしまったのである。その後もう二度と行くものかと思ったのだが完全な空腹でなければ大丈夫ではないかとか、本店以外ならいけるのではないかとか、「ラーメン大(池袋店)」を食べたときはそれなりに余裕があったので実は二郎もこんなものだったのではないかとか、そんなふうに思ってしまったので懲りずにまた再チャレンジすることにした。よって簡単にレポートしたい。

さて向かうのは目黒店である。ここに決めたのは他の店舗よりも若干安く(小ラーメン500円)評価が高い店であること、目的地までの途中下車で行くことができたためである。目黒駅で降りると坂道を下るようにして店までそこそこ歩く。後半の開店時間は夜18:00で着いたのは18:30くらいだと思うが、狭い店内にはすでに人が数名いた。空席はあったので待たずに中に入ることができた。

小ラーメン豚入りの食券を買う(600円)。豚入りにするかどうか迷ったがいい具合に腹が減っていたのでいけるのではないかとそれにすることに。トイレに行き待つこと数分、店主の人が振り向いて目だけでコールの合図する。野菜増しにはしない。またニンニクも入れません。

さて食べ始める。最初はこのままならいけるなと思ったのだが、食べ続けるうちにやはりだんだんつらくなってきた。原因はスープに浮く大量の油である。やはり油少なめにすべきだった。それにとにかく硬く太い麺。これがなかなか噛み切れず呑み込めない。ほとんどスープを飲まず水も飲まないようにして懸命に食べていく。多く食べるときの鉄則であるが、しかし麺が呑み込めないときは水を含んで胃に流し込むことにした。

数分後、なんとかスープ以外はほぼ食べる終えることができた。改めて丼を見るとスープの上の油の量は幅1センチくらい浮かんでいるように見える。こりゃ食べ続けているとつらくなるわけだ。今回吐くまでは至らずそこまで気持ち悪くならなかったのが救いである。

f:id:glamaje:20170205012221j:plain

f:id:glamaje:20170205012222j:plain

さて肝心の味のほうであるが、十分に腹も膨れたはずなのに食後の満腹感はなく、ただ何か物を食べたという感覚だけが残った。食パンのみや乾パンのみで腹が膨れるとしたらそんな感じであろう。

二郎は二郎インスパイアと言われる系のラーメンとは全く違う食べ物であることに注意すべきである。二郎インスパイアはいくら盛られていてもまだラーメンであるが、二郎は事実ラーメンではない。というのはあの異様に太い麺、あれはもはやラーメンとは呼べず、最近どん兵衛のうどんを二郎の味にする方法というのがあったが、なるほどインスタントのうどんの麺をインスタントでなくしたような(だが当然本物のうどんではない)麺だ、あれは。

さて今回も食べ終わったあともう二度と二郎には行くまいと思ったが、時間が経ってくると今度は麺が柔らかい店舗ならあと1回くらい行ってもいいのではないかと思えてくるところが恐ろしい。だが行くとしたら次は麺なし野菜増し増しにしようと思う。それならば野菜にドレッシングをかけたようなサラダ感覚で食べられるのかもしれない。

 

ラーメン二郎は自己の身体に対する破壊欲求

私にはそのような欲求がないので、体が全力で拒否する

二郎は真言立川流のようなラーメン界の邪教

 

ダリに行ってきた

新国立美術館でやってるダリ展行ってきた。ダリが? 俺が! ダリ展やってるのは知っていたが最初行く予定はなかったものの時間ができたので行ったのである。やってるの上野かと思ったら新国立だった。ちなみに乃木坂駅から雨に濡れずに入れる。バイクで行ったことがあるが駐輪場もあり便利な美術館である。

さてダリ展はほんとに良かった。なんでも前は2006年に上野でやって今回は10年ぶりの大回顧展だったらしい。実はその時にも行ったのだが、それほど感激はしなかったと記憶している。あと会津磐梯の諸橋近代美術館にも行ったことがあるがここはコレクション所蔵なのかな。とにかく今回は私自身それほど美術展に行っているわけではないが今まで行った中で一番良かった展覧会といえるほどによかったのだった。

サルヴァドール・ダリの絵は写実的で、またCG的にも見える。ダリの世界は一見奇妙なものを描いているように見えても、奇妙な明るさがある、というのが今回展覧会を見た印象だ。それはいわゆるドイツ的ほの暗さを体現しているようなマックス・エルンストやエドガー・エンデとは対照的に思える。その原因はおそらくダリの描く風景だ。もちろん全作品を知っているわけではないが、ダリの風景は海と地平線、それに空を好んで描いていることに気付いた。『記憶の固執』がいい例で、あの風景をベースにダリは自分の幻想を盛っている感じがする。もしかしたら研究者では当たり前?なのかもしれないが、今回初めてそれを意識したのである。絵をずっと見ているとそれらの幻想ともどもに実在感がある。地平が広く、空も青空を基調として描かれるためそれが開放的に感じさせ、ダリの世界にはたとえ魑魅魍魎が跋扈していても中に入って行ってみたいと思わせるのだ。

今回の展覧会でシュルレアリスム時代以降の絵はどれもよかったが、中でも「ポルト・リガトの聖母」は圧巻である。この作品と、今回の展覧会にはないが「最後の晩餐の秘蹟」はなんというかニューエイジ的だと思っていたのだが、目にしてみて思ったのはバッハの音楽をシンセサイザーで演奏したような印象なのである。といってもよくわからないが、とにかく、うまく言えないのだがダリは自覚を持ってルネッサンスや古典主義を現代を結び付けようとしたというような解説が解説パネルにあったと記憶しているから、まあそれが本当に成功しているように思える(とこんな解説で合っているのだろうか)。

ダリは晩年古典主義に回帰したとのことだが、その中のひとつ「テトゥアンの大会戦」これがまあ悪趣味なんである。まあそれがいいのだが、あーあまたガラ描いてるよ、みたいな感じがして思わず吹き出す。ガラはここではダリと志を同じくする伴侶であると同時に、聖母の位置まで昇りつめている。あと 「ラファエロ的幻覚」。この絵はまるで〈黄金時代〉の黄昏の風景のようだ。

会期はまだあるので興味がある人は行ってほしい。ちなみに土曜日だったのでそれなりに混雑はしていたが苦痛を感じるほどではなかった。またこれで終わりかなと思ってもなかなか終わらないフルコース料理のような作品数も多さも魅力だった。それにしても日本人は印象派が好きだと言われるが、今の時代シュルレアリスムのほうが実は理解されたりするんじゃないだろうか。ルネ・マグリットは前にやったと思うから同様にジョルジョ・デ・キリコマックス・エルンスト、エドガー・エンデその他の展覧会もいつかやってほしいと希望します。

 

これは面白い。


 

映画「レッドタートル」

ジブリによって公開されたアニメーション映画レッドタートルすごくよかったんだけど、結局興行収入はどのくらいまでいったのだろうか? 全然人が入らないだろうというのは予想した通りだが、何しろ私も予告を見てつまらなそうと思ってしまったくらいで、あの『岸辺のふたり』の監督だということを知ってもあまりそそられなかった。というのは岸辺のふたりはあまり好きではないからで、私自身はいわゆるアートアニメションと呼ばれる作品も好きなものも多いが、ただ『岸辺のふたり』はアートアニメーションであるがゆえに手放しでほめられている感じがし、それが嫌だったのだ。

だが一日の映画館が安い日に行って見て見事に裏切られた。本当にいい作品だったのである。ちなみに安い日だったからか、客は自分含めて五人以上はいたはずだ。さて何がいいって絵が美しいことはもちろんだが、感動したのは画面を通して〈てざわり〉が伝わってくることだった。赤ガメが砂浜をなでるときの手ざわりや、亀の甲羅をなでる手ざわり。それが画面を通して本当に伝わってくるのだ。もちろんそれは恐ろしく丁寧に絵を描かないとできないはずで、それだけではなく、作り手にそういった意識がないといけない、つまり絵に本当に命を吹き込むという意識を持ってやららければならない。あと音楽はいかにもフランスのアニメといったロマンチシズムをたたえたもので(『王と鳥』のような)、このおかげで泣けるのである。あと、台詞を全部なくしたのは正解だった。それであの完成度。本当に凄い。

さて感想はここで終わり。なぜレッドタートルが今年公開された他の映画、よく比較される『シン・ゴジラ』『君の名は。』『聲の形』のように話題にならず、人が入らなかったのか。アートアニメだから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、上記の作品に内包されていると思われる、いわばアクチュアルな問題性を、何も持っていないのではないか。検索すれば上記三作品についての社会時評めいた批評やその他の批評は、いくらでも見つかるはずである(あまり読んでいないので想像だが)。たとえ映画の完成度が低かったとしても、レッドタートルよりも上記三作品について語られることは多いだろう。

レッドタートルといえば、作品にあるのはテーマと言うより"基調"であると思われる。辞書で引けば意味は同じだが、テーマと言うほど大手を振って語られるべきものではない、作品の基底にある雰囲気とかアトモスといったもので、それは"小説"と"詩"の違いに相当するのではないか。キャッチコピーは「どこから来たのか どこへ行くのか いのちは?」というものだが、まさにそうしたものがアニメーションによって、詩という形で具現化されている、それが素晴らしいものなので、もちろん悪いということは何もない。本当によくできた工芸品のようなもので、だがそれだけではあまり批評はされないのではないか。何しろ完璧さ故に、何も論じることがないように思える。このへんにおそらくアートアニメーションが日本であまり評価されない理由の一旦があると思われるのだが………

しかし今年2016年の映画は面白く、普段あまり映画館にはいかないが、上記作品のほかに『Fake』も見ている。あえて順番をつけるとよかった順に、『Fake』=『レッドタートル』、『君の名は。』、『シン・ゴジラ』、ずっと下がって『聲の形』となるのだろうか。

それにしてももっと多くの人に見て欲しいレッドタートル。何しろ目に留まった2chのレスをみたらジブリの税金対策とか言われていたくらいで、それには吹きだしてしまった。期待していない映画でも行ってみたらよかったということは多いので、さて今度は「この世界の片隅に」行ってくるか。