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宇宙の片隅の記

バイクブログです

3D映像・3D映画体験記

昨年2016年はVR元年と呼ばれ、いつの間にかヴァーチャル・リアリティ技術は私の知らないうちに飛躍的な進歩を遂げていたらしい。ViveやOculusといったヘッドセットが発売され、ソフトも既にかなりの数が出ているようだ。

その6年前の2010年は3D元年と呼ばれたとのことだが、家庭用3Dテレビが次々と発売されたもののあまり一般的に定着はしなかったようだ。今後VRがどの程度普及するかはわからないが、3Dの立体映像はVRの前段階としてある。ここで私が体験することのできた範囲での3Dを思い出して書いてみたい。

3D映画の歴史は以外にも古く、wikipediaでは1952年から1954年にかけて最初の黄金時代があったというが、それから現在のデジタル上映になる2005年まで間の記述が抜けている。だがその間も何度か3Dのブームがあったようだ。http://eiga.com/extra/oguchi/2/

私が初めて3D映像に接したのは地元の映画館で見た、赤青セロハンを張ったメガネをかけて見るアナグリフ方式の、『ウルトラB ブラックホールからの独裁者B・B!!』(1988年)だった。http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20140910

20分の短編映画で、『エスパー魔美 星空のダンシングドール』『ウルトラB ブラックホールからの独裁者B・B!!』との同時上映だった。今では当然紛失してしまったが、映画を見終わった後メガネも家に持ち帰ったのである。

それとディズニーランドに行ったときアトラクション『キャプテンEO』(初演版)を観たことがあるが、これも同様のアナグリフ方式だったと記憶している。そのように最初の3D映像体験となるとまずあの赤青メガネが思い出されるが、今では知らない人も多そうだ。それからビデオゲームの映像は徐々に進化していったものの、3D映像の方面で特に技術革新は起こらず、どうやらしばらく下火になっていたようである。

その後3D映像を体験したのは2006年くらいだと思うが遊園地のとしまえんにあった、ゲームの『零~紅い蝶~』の映像だった。http://www.tecmo.co.jp/special/zero4d.htm

映画館同様のスペースで見ることができ、他のアトラクションとは別料金で一回500円だったはずだ。立体映像3D+体感効果ということなのか、和風ホラー4Dアクションという名称で呼ばれていた。体感効果というのはホラーだけあって途中椅子がいきなり下がったりするという、現在の4DX同様のギミックがついていた。ストーリーはよくわからなかったもの映像は今の3D映画と同じで、そのリアルさに感動した憶えがある。2005年の『チキン・リトル』がデジタル上映による初の3D映画ということだが、まだ当時デジタルの3D映像は珍しく、アナグリフ方式から時間が経っていることもあり、その時はリアルな没入感を体験することができた。これによって私は初めてヴァーチャル・リアリティ的なものを意識したのである。今はとしまえんのウェブサイトに記載が見つからないのでもうなくなってしまったものと思われるが、当時4DXの先がけのようなアトラクションが稼働していたということは、是非とも記憶しておきたい。

その後映画館でもデジタル3Dによる映画が上映されると知り、『ベオウルフ/呪われし勇者』(2007年)を観に行った。これはドルビー3Dの初採用作品であり、一般的な劇場で3D映画を見ることのできたおそらく初めての作品だと記憶しているが、正確なところはわからない。ただ『アバター』(2009年)が初めて3D上映の作品のように言われているがそんなことはなく、それよりはもっと早いのだが、もはや誰も覚えてないのかもしれない。

さて今や3D映画は冒頭に書いた3D元年を得て、結局家庭用にまでは浸透しなかったが映画館においては定着したといえる。だが今後しばらく技術面での大きな変化はなさそうである。

(次回更新予定のエントリーに続く)

【旅レポ・聖地巡礼】ラブライブ!神田明神~神保町

東京にいたときに時間があったから神田明神靖国神社に寄ることにした。神田明神は言わずとしれたアニメ『ラブライブ!』の聖地であるが、私の目的は靖国神社ともに、聖地巡礼というよりは見学程度の意味合いだ。

さて神田明神御茶ノ水駅が最寄り駅である。駅からは徒歩十分くらいだろうか。

アニメを見た限りではあの長い階段が正面に位置しているような印象だったが、実際は神社の右手側にある。

 

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後ろのキャラは神田明神のキャラクターではなく藤真拓哉の描いた「アニメ・マンガ地域サミット」のマスコットキャラらしい。

 

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靖国に行くために御茶ノ水駅に戻る途中。丸ノ内線の電車が地上に出て交差したところを偶然撮影

 それから靖国神社までは歩こうと、神保町まで行きました。

 

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日本文芸社前のウィンドウ。私も写ってしまっています。マスクしてます。

 

ここで足が疲れてしまい、一駅だけですが神保町から九段下まで地下鉄で行くことにしました。

その時の電車が東武鉄道クレヨンしんちゃんラッピングトレインだった(半蔵門線にも乗り入れるため)。だけどスマホが急におかしくなり撮影失敗……

 

次は靖国神社に行ったときのことを書きます。

【コラム】暴君トランプとビッグブラザー

長い文章を書くのは大変なので、時に短い文章もコラムとして書くことにしました。 

ヒロ・マスダ / Hiro Masuda on Twitter: "『サウスパーク』創作者がトランプ政権の風刺はやらないとコメント。理由「風刺を現実にやってしまっているから笑えない、コメディとして難しい」

 大塚英志の『サブカルチャー反戦論』を読んでいたら、この本の発売当時のイラクジョージ・W・ブッシュ大統領の話が出てきた。それで当時のことを思い出したのだが、さて今やアメリカの大統領はドナルド・トランプである。就任したばかりだというのに入国禁止令を出し、メキシコとの国境に壁を作る準備を始め、排外主義的な政策を続けている。

しかしよくこんな一見わかりやすい暴君が大統領にまでなったものだと感じる。アメリカ・ファーストを連呼したトランプだが、かといってブッシュのようなアメリカの正義を信じているわけではなく、経営者時代からトランプは自ら敵を作り出していく手法だったということで、今も会社経営と同じ感覚で大統領に就いているように見える。もはや信じられていたアメリカの正義ではなく、国家がビジネスと同じ理念でやっていくことになったようだ。

アメリカでは今ジョージ・オーウェルの『1984』が売れているというが、村上春樹の『1Q84』では「この現実の世界にはもはやビッグブラザーの出る幕はない、そのような人物が現れても我々は気をつけろ、あいつはビッグブラザーだと指摘するからだ」といった箇所があった。実際に『1984』に書かれている内容とは違うかもしれないがその通り暴君的な暴君としてトランプが台頭したことは、サウスパーク創作者の言葉通り現実がコミカル(戯画的)なものになってしまったということだろう。

コミカルなものは時にグロテスクと紙一重であり、そうした現実はそれほどわかりやすく把握できるわけではないようだ。だがかつてのようにアメリカはもはや共産圏やイラクといった仮想的国を見出すことができず、隣国や隣人に直接攻撃性を向けてしまっていることだけは確かなようだ。

 

ラーメン二郎を訪問した(再び)

(この前の記事でスターを送ってくれた方すみません。もう少し文章量を増やしたいので記事を引っ込めてしまいました)

ブログで書きたいことはそれなりにあるものの一向に文章を書く作業が捗らないので一度身近な出来事について書くことにした。

時間があったので最近ラーメン二郎を訪問した。といっても初めてではなく二郎に行くのは実は二回目である。一度三田本店に行ったことがあるのだが、胃が全く空の状態で行ったためジロリアンには申し訳ないが食べ終わったあとに吐いてしまったのである。その後もう二度と行くものかと思ったのだが完全な空腹でなければ大丈夫ではないかとか、本店以外ならいけるのではないかとか、「ラーメン大(池袋店)」を食べたときはそれなりに余裕があったので実は二郎もこんなものだったのではないかとか、そんなふうに思ってしまったので懲りずにまた再チャレンジすることにした。よって簡単にレポートしたい。

さて向かうのは目黒店である。ここに決めたのは他の店舗よりも若干安く(小ラーメン500円)評価が高い店であること、目的地までの途中下車で行くことができたためである。目黒駅で降りると坂道を下るようにして店までそこそこ歩く。後半の開店時間は夜18:00で着いたのは18:30くらいだと思うが、狭い店内にはすでに人が数名いた。空席はあったので待たずに中に入ることができた。

小ラーメン豚入りの食券を買う(600円)。豚入りにするかどうか迷ったがいい具合に腹が減っていたのでいけるのではないかとそれにすることに。トイレに行き待つこと数分、店主の人が振り向いて目だけでコールの合図する。野菜増しにはしない。またニンニクも入れません。

さて食べ始める。最初はこのままならいけるなと思ったのだが、食べ続けるうちにやはりだんだんつらくなってきた。原因はスープに浮く大量の油である。やはり油少なめにすべきだった。それにとにかく硬く太い麺。これがなかなか噛み切れず呑み込めない。ほとんどスープを飲まず水も飲まないようにして懸命に食べていく。多く食べるときの鉄則であるが、しかし麺が呑み込めないときは水を含んで胃に流し込むことにした。

数分後、なんとかスープ以外はほぼ食べる終えることができた。改めて丼を見るとスープの上の油の量は幅1センチくらい浮かんでいるように見える。こりゃ食べ続けているとつらくなるわけだ。今回吐くまでは至らずそこまで気持ち悪くならなかったのが救いである。

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さて肝心の味のほうであるが、十分に腹も膨れたはずなのに食後の満腹感はなく、ただ何か物を食べたという感覚だけが残った。食パンのみや乾パンのみで腹が膨れるとしたらそんな感じであろう。

二郎は二郎インスパイアと言われる系のラーメンとは全く違う食べ物であることに注意すべきである。二郎インスパイアはいくら盛られていてもまだラーメンであるが、二郎は事実ラーメンではない。というのはあの異様に太い麺、あれはもはやラーメンとは呼べず、最近どん兵衛のうどんを二郎の味にする方法というのがあったが、なるほどインスタントのうどんの麺をインスタントでなくしたような(だが当然本物のうどんではない)麺だ、あれは。

さて今回も食べ終わったあともう二度と二郎には行くまいと思ったが、時間が経ってくると今度は麺が柔らかい店舗ならあと1回くらい行ってもいいのではないかと思えてくるところが恐ろしい。だが行くとしたら次は麺なし野菜増し増しにしようと思う。それならば野菜にドレッシングをかけたようなサラダ感覚で食べられるのかもしれない。

 

ラーメン二郎は自己の身体に対する破壊欲求

私にはそのような欲求がないので、体が全力で拒否する

二郎は真言立川流のようなラーメン界の邪教

 

ダリに行ってきた

新国立美術館でやってるダリ展行ってきた。ダリが? 俺が! ダリ展やってるのは知っていたが最初行く予定はなかったものの時間ができたので行ったのである。やってるの上野かと思ったら新国立だった。ちなみに乃木坂駅から雨に濡れずに入れる。バイクで行ったことがあるが駐輪場もあり便利な美術館である。

さてダリ展はほんとに良かった。なんでも前は2006年に上野でやって今回は10年ぶりの大回顧展だったらしい。実はその時にも行ったのだが、それほど感激はしなかったと記憶している。あと会津磐梯の諸橋近代美術館にも行ったことがあるがここはコレクション所蔵なのかな。とにかく今回は私自身それほど美術展に行っているわけではないが今まで行った中で一番良かった展覧会といえるほどによかったのだった。

サルヴァドール・ダリの絵は写実的で、またCG的にも見える。ダリの世界は一見奇妙なものを描いているように見えても、奇妙な明るさがある、というのが今回展覧会を見た印象だ。それはいわゆるドイツ的ほの暗さを体現しているようなマックス・エルンストやエドガー・エンデとは対照的に思える。その原因はおそらくダリの描く風景だ。もちろん全作品を知っているわけではないが、ダリの風景は海と地平線、それに空を好んで描いていることに気付いた。『記憶の固執』がいい例で、あの風景をベースにダリは自分の幻想を盛っている感じがする。もしかしたら研究者では当たり前?なのかもしれないが、今回初めてそれを意識したのである。絵をずっと見ているとそれらの幻想ともどもに実在感がある。地平が広く、空も青空を基調として描かれるためそれが開放的に感じさせ、ダリの世界にはたとえ魑魅魍魎が跋扈していても中に入って行ってみたいと思わせるのだ。

今回の展覧会でシュルレアリスム時代以降の絵はどれもよかったが、中でも「ポルト・リガトの聖母」は圧巻である。この作品と、今回の展覧会にはないが「最後の晩餐の秘蹟」はなんというかニューエイジ的だと思っていたのだが、目にしてみて思ったのはバッハの音楽をシンセサイザーで演奏したような印象なのである。といってもよくわからないが、とにかく、うまく言えないのだがダリは自覚を持ってルネッサンスや古典主義を現代を結び付けようとしたというような解説が解説パネルにあったと記憶しているから、まあそれが本当に成功しているように思える(とこんな解説で合っているのだろうか)。

ダリは晩年古典主義に回帰したとのことだが、その中のひとつ「テトゥアンの大会戦」これがまあ悪趣味なんである。まあそれがいいのだが、あーあまたガラ描いてるよ、みたいな感じがして思わず吹き出す。ガラはここではダリと志を同じくする伴侶であると同時に、聖母の位置まで昇りつめている。あと 「ラファエロ的幻覚」。この絵はまるで〈黄金時代〉の黄昏の風景のようだ。

会期はまだあるので興味がある人は行ってほしい。ちなみに土曜日だったのでそれなりに混雑はしていたが苦痛を感じるほどではなかった。またこれで終わりかなと思ってもなかなか終わらないフルコース料理のような作品数も多さも魅力だった。それにしても日本人は印象派が好きだと言われるが、今の時代シュルレアリスムのほうが実は理解されたりするんじゃないだろうか。ルネ・マグリットは前にやったと思うから同様にジョルジョ・デ・キリコマックス・エルンスト、エドガー・エンデその他の展覧会もいつかやってほしいと希望します。

 

これは面白い。


 

映画「レッドタートル」

ジブリによって公開されたアニメーション映画レッドタートルすごくよかったんだけど、結局興行収入はどのくらいまでいったのだろうか? 全然人が入らないだろうというのは予想した通りだが、何しろ私も予告を見てつまらなそうと思ってしまったくらいで、あの『岸辺のふたり』の監督だということを知ってもあまりそそられなかった。というのは岸辺のふたりはあまり好きではないからで、私自身はいわゆるアートアニメションと呼ばれる作品も好きなものも多いが、ただ『岸辺のふたり』はアートアニメーションであるがゆえに手放しでほめられている感じがし、それが嫌だったのだ。

だが一日の映画館が安い日に行って見て見事に裏切られた。本当にいい作品だったのである。ちなみに安い日だったからか、客は自分含めて五人以上はいたはずだ。さて何がいいって絵が美しいことはもちろんだが、感動したのは画面を通して〈てざわり〉が伝わってくることだった。赤ガメが砂浜をなでるときの手ざわりや、亀の甲羅をなでる手ざわり。それが画面を通して本当に伝わってくるのだ。もちろんそれは恐ろしく丁寧に絵を描かないとできないはずで、それだけではなく、作り手にそういった意識がないといけない、つまり絵に本当に命を吹き込むという意識を持ってやららければならない。あと音楽はいかにもフランスのアニメといったロマンチシズムをたたえたもので(『王と鳥』のような)、このおかげで泣けるのである。あと、台詞を全部なくしたのは正解だった。それであの完成度。本当に凄い。

さて感想はここで終わり。なぜレッドタートルが今年公開された他の映画、よく比較される『シン・ゴジラ』『君の名は。』『聲の形』のように話題にならず、人が入らなかったのか。アートアニメだから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、上記の作品に内包されていると思われる、いわばアクチュアルな問題性を、何も持っていないのではないか。検索すれば上記三作品についての社会時評めいた批評やその他の批評は、いくらでも見つかるはずである(あまり読んでいないので想像だが)。たとえ映画の完成度が低かったとしても、レッドタートルよりも上記三作品について語られることは多いだろう。

レッドタートルといえば、作品にあるのはテーマと言うより"基調"であると思われる。辞書で引けば意味は同じだが、テーマと言うほど大手を振って語られるべきものではない、作品の基底にある雰囲気とかアトモスといったもので、それは"小説"と"詩"の違いに相当するのではないか。キャッチコピーは「どこから来たのか どこへ行くのか いのちは?」というものだが、まさにそうしたものがアニメーションによって、詩という形で具現化されている、それが素晴らしいものなので、もちろん悪いということは何もない。本当によくできた工芸品のようなもので、だがそれだけではあまり批評はされないのではないか。何しろ完璧さ故に、何も論じることがないように思える。このへんにおそらくアートアニメーションが日本であまり評価されない理由の一旦があると思われるのだが………

しかし今年2016年の映画は面白く、普段あまり映画館にはいかないが、上記作品のほかに『Fake』も見ている。あえて順番をつけるとよかった順に、『Fake』=『レッドタートル』、『君の名は。』、『シン・ゴジラ』、ずっと下がって『聲の形』となるのだろうか。

それにしてももっと多くの人に見て欲しいレッドタートル。何しろ目に留まった2chのレスをみたらジブリの税金対策とか言われていたくらいで、それには吹きだしてしまった。期待していない映画でも行ってみたらよかったということは多いので、さて今度は「この世界の片隅に」行ってくるか。