宇宙の片隅の記

放置プレイブログ

2017年東北旅 1日目 茨城~仙台

茨城から北上。とりあえずは国道6号線。もう6号線は以前に通ったのでそれからどの道を通ろうかと迷ったが、国道461から349に出て、更に118を行くことにする。何度も通っている道ではあるが、今回は棚倉町のあたりで真っ直ぐに突っ切り県道に入って近津駅のほうにいくことにする。再び118に合流し、このあたりで腹が減ってきたので以前にも食べておいしかった白河ラーメンの店を探した。

国道沿いにはラーメンショップがあり、ラーショはどの店でも味が違うのでそこでもよいと思ったが、ここはもう少し先にある「みそ善」に入ることにした。

道路の脇にたたずむ店舗。主に普通の味噌と黒みそが選べ、それに麺はちぢれ麺(オーソドックスな白河の麺)と太麺が選べる。黒みそとちぢれ麺にすることにした。 

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これが今までのラーメンでも最高クラスにうまいラーメンだったのだ!味噌といっても地元の味噌ラーメンとは違い味噌の味は強くなく、どことなくとんこつ味噌のような味だ。それに黒みそとニンニク、それに白河のちぢれ麺が非常に合うのだ。非常に感激しながら店を出た。大変おすすめの店である。

ところどころまだ桜が咲いているのを見ながら北上。あぶくま高原道路を東に走り(無料区間)、福島県小野町へ。B級スポットとして紹介されていたリカちゃんキャッスルに寄ってみた。 

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800円は少し高い……が、工場の中を見ることができるのは面白い。それから近くのスポットであるあぶくま洞へ。

17時で終わってしまうらしく時間はちょうど一時間前を切っていた。洞のなかは自分一人しかいない。途中で道が分かれる個所があり、岩肌の多い探検コースのほうに行くと追加で200円取られる。追加で金を取られるのは癪だが写真を撮ることができたのでよしとする。

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だんだんとあたりが暗くなってきたので仙台に早く到着するため国道349から4号の方に出ようかと迷ったが、結局はそのまま349を行くことに。宮城県丸森町のあたりで渋滞がありそれは回避したもののその後反対方向に進んだりして迷ってしまったが、それからはいい時間に仙台につくことができた。その前に国道沿いのラーメン店、魁力屋 仙台南店に行ってしまった。二食続けてのラーメンだが、これがまたおいしかったのである。

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ちょうど時間だったのでネットカフェの自遊時間に入った。以前の東北旅のときにも立ち寄った場所である。明日は天気予報で雨になっていたので、それほど長距離移動はあきらめていたため12時間パックにする。どうやら中が改装されたのかかなり綺麗になっているようだ。シャワーとモーニングがパック料金で付いてきて、ドリンクバーの種類が多く至れり尽くせりのネカフェである。シャワーに入ったあと疲れていたのですぐに就寝した。

朝4時頃目が覚める。それからネットで情報を収集していると、7時頃に予約していたモーニングが来る。早い時間に目が覚めたためそれから眠くなってしまったが、時間なので店を出ることにした。 

夏目漱石「月が綺麗ですね」検証 夏目さんはロマンチストだったのか?

月が綺麗ですね、とは? 

 小説家・夏目漱石が英語教師をしていたとき、生徒が " I love you " の一文を「我君を愛す」と訳したのを聞き、「日本人はそんなことを言わない。月が綺麗ですね、とでもしておきなさい」と言ったとされる逸話から。

 広く知られている話ではあるがこれはまさしく伝説であり、明治や大正の古い文献には登場しないという。

ツイッターでこんな投稿を見つけた。

 

 

 

 

作家の津原泰水氏の投稿。とても貴重な証言だ。ウェブでは様々な情報を手に入れることができるが、もちろん全ての答えがあるわけではない。こういった時代の証言は見つからないことが多く、だからこそ貴重なのである。

 では元の話は英語教師の間のジョークだったのだろうか。

「月が綺麗ですね」検証

こちらに文献等がまとめられていて参考になる。なんとここにグラスリップも紹介されているが、それはさておき一番最初の文献を抜き出してみよう。

 

『奇想天外』1977年11月号、奇想天外社、1977年11月1日発行

豊田有恒『あなたもSF作家になれるわけではない』 【6】翻訳の時代VI

 

夏目漱石が、英語の授業のとき、学生たちに、I love you.を訳させた話は、有名です。学生たちは、「我、汝を愛す」とか、「僕は、そなたを、愛しう思う」とかいう訳を、ひねりだしました。「おまえら、それでも、日本人か?」漱石は、一喝してから、つけくわえたということです。「日本人は、そんな、いけ図々しいことは口にしない。これは、月がとっても青いなあ――と訳すものだ」なるほど、明治時代の男女が、人目をしのんで、ランデブーをしているときなら、「月がとっても青いなあ」と言えば、I love you.の意味になったのでしょう。 (4-5頁)

 

「あなたもSF作家になれるわけではない」は奇想天外社発行のSF雑誌『奇想天外』1976年4月号から1979年3月号にかけて連載された豊田有恒のSFエッセイである。1977年11月号掲載分では海外作品を日本語へ訳す事が難しい事の例えとして夏目漱石とI love you.の話が引用されている(「月が綺麗ですね」ではなく「月がとっても青いなあ」という形だが)。現時点(2016年5月26日)では豊田有恒のこのテキストが最古の事例である。『有名です』と書かれているだけで誰から聞いたとかどこで読んだとかの説明は無い。

  

1977年(昭和52年!)の文献が初出だからかなり新しいわけで、それだけでも夏目漱石が言った言葉とするには相当に怪しいものである。

夏目漱石が英語教師をしていたのは有名である。先の津原氏の投稿と合わせて考えると、筆者の豊田氏のなかで英語教師=夏目漱石という連想が働いてしまい、それが広まってしまったように思われる。(なお検証のために「あなたもSF作家になれるわけではない」を買ってみたが、全部読むのは大変なので当該箇所を確認するだけで終わった)

その後、いかにも文豪らしいエピソードに思われるため、そのまま夏目さんが言ったものとして広まっていったものと思われる。

豊田氏はまだ存命中とのことなので、是非表に出て来て説明して欲しいものである。

 

透子「ロマンチストだったんだね、夏目さん」

幸「透子ちゃん、それ勘違い」

 

結論:夏目さんはロマンチストではなかった。

2015年東北旅

2015年夏の記録。たしか国道6号を通り東北を目指して北上したはずである。というのはもう記憶が定かでないからなのだが、ただ乗っていたバイクは今とは違いPCX150だった。

途中、いわき市サイゼリヤに寄る。その後本当は原発の近くや南相馬市にまで行きたかったのだが、暗くなってきたこともあって無理だと思い、国道49号から郡山市方面に向かい、それからは4号線を走った。

途中福島で泊まろうと思ったのだが、結局無理をして暗くなってからも走り続け、仙台に辿り着いたころには疲れ果ててしまっていた。

泊まったのはネットカフェの自遊時間仙台店である。その後の一日は仙台観光に費やすということで仙台城跡とアニメWake Up, Girls!に出てきたカフェに寄った。(特にWUGのファンではないのであるが。) 

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その日のうちに仙台を離れて石巻に向かい、途中塩釜市鹽竈神社と松島に立ち寄った。松島は噂通りの絶景で、その後石巻に到着し、日和山神社に寄る。高台から見る光景。その時はもう震災の面影をはっきりと残すものはないが、そこには震災前と比較した写真があって以前には工場や住宅が立ち並んでいたことがわかる(ここに載せた画像ではよくわからないかもしれない)。石巻に着いたのは夕方で、石ノ森萬画館はもう閉館した後だった。

 

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石巻市のネットカフェ自遊空間で泊まり、朝早く出発した。ネカフェの自遊空間石巻店(自遊時間ではない)に泊まる。そして次の日は早朝に出発。

それから門脇小学校の前に行ってみた(前日は探したもののどこにあるのかわからなかったのである)。学校には覆いがかけられていて、直接には津波で壊された校舎を見ることはできない。あたりは工事中でバイクが走れなかったため押して歩いた。その時に早朝ランニングをしている人とすれ違った。

門脇小学校の前で私は写真を撮影していたと思う。その時に軽トラに乗った年配の人に明るい感じで話しかけられた。うまく聞き取れなかったが、工事中のためカラーコーンとコーンバーで通行止めになっていて、毎日これをどかさなければならない、といったことだったかと思う。近くには確か墓があり、もしかしたらその人の家族が震災で亡くなったのかもしれない。その人は一見とても明るく、印象に残るものがあった。

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女川方面に向かうため、日和大橋を渡る。このあたりで先程ランニングをしていた人を追い越した。一体彼はどんな感情でここを毎日走っているのだろうかと考えた。

女川を過ぎてから、思わず停車して写真を撮る。

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 そして旧大川小学校に寄る。写真を撮る。老夫婦が手を合わせていた。もしかしたら毎日ここに来ているのかもしれない。 

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その後海沿いの国道398から見る海の景色はとても印象深かく綺麗で、思わず路上に止まって撮影した。 

途中仮設コンビニに寄る。大船渡市のあたりはトラックが頻繁に行き来していて、埃っぽい。気仙沼市では開店の10時すぐに入ってファミレスのココスで昼食を取る。その後これもアニメのWUGに出てきた五十鈴神社に寄った。釜石市では大きな観音が見えあれはなんだと思ったのだが、結局は立ち寄らなかった。それから釜石のイオンに寄る。ここでの感想は今年また行ったので今後のエントリで書きたい。

遠野を経由して北上市まで行き、北上市で一泊。それからは朝出発し一日で自宅に帰った。東北には震災の爪痕を記憶にとどめておくためにももっと早く行っておくべきだったと思ったが、結局は機会があったときに訪れるしかない。 

救わなきゃ(使命) メサイアコンプレックスについて

メサイアコンプレックス、略してメサコンとは何か。人によっては聞きなれない語かもしれない。私がこの言葉を意識したのはツイッターでマンコマン氏が使っておられたからだが、この記事を書くのが遅れるに遅れたためそれももう昔のことになってしまった。まあそれはどうでもいいが、おそらくこのメサコンという語は一種のパワーワードになり得る語であり(まあならないだろうが)、本当にまあどうでもいいのだが、ということで今回はメサイアコンプレックスについて考えてみたい。

さてメサコンの一般的な意味については各自ウェブの記事を読んでいただくとして、ここでは実際のメサコンというよりも、主にフィクションに現れたメサコン(と思われる事象)について考えてみたい。だがどうもこのメサコン、そこらへんの界隈では特殊な意味合いで使われているような気もするのだが、特に正確な定義もせずに話を進めていきたい。

どうもメサコンではなく救世主願望のような事例のほうがわかりやすい気がするのだが、まずこれとメサコンとの違いについて記すと、まあ救世主願望というような語はないがヒーローになって世界を救いたいというような他愛のない願望はそれなりに見られるだろうということで、そうやって尊敬されたいとか、異世界で無双して異性にちやほやされたいとか、そのようなヒーロー願望なのだろう。

実際にそんな願望を持っている人間がいたらそれはまあ単に妄想だろうが、メサコン(特に男性)は実際に多そうである。メサコンとは実に自分が救われたい願望を抱いていることが特徴であるように思われる。それは誰か相手を救うことで自分自身もともに救われたいという感情なのである。

さてここでフィクション作品のメサコンについて考えてみよう。というとすぐに思い浮かぶのが美少女ゲームブランドのKeyの主人公かもしれない。これは評論家の宇野常寛がマッチョイズムとかポルノファンタジーという語で批判した対象になるのだが、メサコンもそれに近しい関係にあると思われる。

私はkeyについてあまり詳しくないので麻枝准脚本のアニメAngel Beats!を取り上げたい。いい機会なのでここでABに対する自分の感想を書いておくことにしよう。ABには変なギャグが多く私はそのギャグも好きで最終話までは大変面白く見ていて、最後はいわゆる神アニメになることを期待したのだが、やはり最後の最後で落胆があった。というのはこの作品の結論はやはりいつもの麻枝のパターンで変わってないなと思ったからで、その他にはドナー登録に関しての考えの違いなどもあるのだが、麻枝がドナー登録を肯定的に捉えている理由は生命倫理に対する思想というよりやはり誰かを救いたいという感情の表れなのだろうが、それはまあいいや。

この作品の主人公である音無結弦は最終話にとった行動で視聴者からクズだのなんだの散々叩かれたのだが、ヒロインの奏に対して下心があったというのはそうなのかもしれないが、やはり奏に対してメサコンを発揮したと見るべきだろう。たとえ下心があったとしても私が共感してしまったのは一緒にこの世界で暮らそうとか愛してるとか言いきってしまったところで、私はなんて正直な男だろうと思ってしまったのである。今思えばABはその、相手と一緒にいたいという感情が引き裂かれていくところに意味があったというかとも思うのだが、といってもこれは麻枝のいつもの展開なので何も新しいことはないのかもしれないが、私などはそこが突破されることを期待してしまったため、最後はやっぱりこうなるのかと思ってしまったのは確かである。そしてまたやっかいなのは一視聴者たる私のほうがフィクション作品のキャラクターが救われることで自分自身も救われたいというメサコン感情を発揮してしまい、実にこれがフィクション作品に対するメサコンなのだが、そうなるともうどうしようもない。私は主にアニメ作品とキャラクターに対してもうずっとそんな感情を抱いてしまっているのだが、さすがにちょっとこじらせすぎだろう。 

もうメサコンは関係のない気もするのだが麻枝准の次のアニメ作品であるCharlotteについて一応書いておくと、やはり最初は面白いものの中盤から終盤にかけて面白くなくなっていき最終話は全然納得できなかったのだが、これは麻枝准が今までに作品内で用いてきた「奇跡」を否定する話だ、という感想を前に見かけた。ずっと麻枝准を追っていた人はそのようなメタ的な内容を読み取るのかもしれないが、それは私が思うに内輪の事情であり、私などはねこねこブログさんにあるように強いパターナリズムを肯定する話にしか見えない。たとえもっともらしい解釈ができても肝心のお話がだめだめならばどうしようもないではないか。

 

話が逸れた。ここでメサコンに戻りもう一つの作品をあげる。ライトノベルでアニメにもなった『ココロコネクト』である。主人公の八重樫太一は困っている人間を見ると放っておけず、それならば自分がかわりに不幸になったほうがいいという感情を持っていて、これは消極的なメサイアコンプレックスと見るべきだろう。

太一のメサコンは永瀬伊織というキャラクターに対して特に発揮される。この永瀬伊織という子は過去にいろいろ事情があって、複雑な問題を抱えている。そりゃ太一はメサコン発揮しちゃうような子で、これは救いたい、むしろ私に救わせてほしいと思わずにはいられないようなキャラクターである。それは単に永瀬伊織が可愛いからで私はメンヘラ好きでもなんでもないのだが、それはまあいい。

ココロコネクトのアニメにはなかったが(アニメ化はされていない部分)、ノベルの方には太一が「俺は地球を救いたい」といって皆から大笑いされる場面がある。ノベルは途中で読むのをやめてしまったが、そのシーンは実に素晴らしいと思った。読んでないから想像でいうのだが、これは太一がメサコンを脱皮しより大きな使命に目覚めたと見るべきではないか。そのように皆から笑われても信念を貫徹する人間が遂にはなにかを成し遂げるのである。

 

やはり真のメサイアになって世界を救っていくしかないなTwitterでのマンコマンの言)

 

やはり八重樫太一のように地球を救いたいという一見誇大な理想を持ちながら、だが過度な妄想や独善的なエゴイズムに陥らないように気をつけ、日々努めていくべきであろう。

3・11とその後の数日の記憶

その時は埼玉にいた。電源コンセントの使えるマクドナルド(16号深作店)でノートパソコンを使っていたのだが、昼過ぎに強い揺れがあり、中にいた全員が店の外に出た。

ノートパソコンを置いてきたので取りに戻り、それから店は閉店になった。家に帰る途中で確かスーパーベルクスだったと思うが、前を通るとやはり多くの人が店外に避難しているのが見えた。

その後は部屋で眠ったのかもしれない。そして弟から電話があった。地震で大変なことになっているが、大丈夫かと言う。

私は部屋にテレビを置いてなく、全くそんなことになっているとは思わなかった。持っているのはガラケーしかなく、ワンセグで報道をちらりと見たような気がする。アパートの一階では、状況を伝えるテレビの音が聞こえていた(当時私が住んでいたのは古いアパートで、廊下は家の中で共有されていて部屋は別々、といった形態のものである)

大宮のデニーズに行った。ここで北に向かうために足止めされている多くの人がいて、皆は意気消沈した表情をしていた。私はここで伊坂幸太郎の「ゴールデンスランバー」読んでいた。これは仙台を舞台とした小説で、どうしてファミレスで読書などをしていたのかといえばこれは私のいつもの習慣で、単に暇だったのだと思う(ゴールデンスランバーを読むのはその時初めてで、現実の状況と重ね合わせて楽しむといった趣向ではもちろんない)。東北に知り合いのいない私は、仙台在住の伊坂幸太郎は大丈夫だろうかということを考えた。その時は現実の東北がどれほど大変なことになっているかということは、全く思わなかった。

次の日コンビニに行くとスポーツ新聞の見出しに、「列島決壊」といった文字が並んでいた。私は驚いた。死者は数百人に達するかもしれない、と漠然と思ったように思う。やはりこの時も震災の死者・犠牲者がそんなものではないとは考えなかったのである。

それからの記憶は順番が前後するようで曖昧だ。テレビがないせいでうまく情報を収集することができなかった(携帯電話のワンセグで見ていたと思うが、画面の小ささと映像が途切れるせいでそれほど見ている時間は長くなかった)。私が体験した事柄と記憶は言うまでもなく限定されたもので、埼玉県の一地域にいたという事実と、あとはそのときの極めて個人的な状況に限られる。

私は2chの掲示板で情報を収集した(ツイッターのアカウントは持っていたのだが、そちらの方はほとんど見なかった。ただ一度原発事故の対応を巡って、政府や東電の対応がこれほど悪いとは……といった投稿をした気がする)。私は原発放射能に対していわゆる「危険厨」になっていた。

3月13日、この日は福島第一原発の事故による放射性物質が関東にも降下した日と記憶している。なにかその日はいつもと違うような、悪い予感を感じたのは確かだ。早くマスクを購入したかったのだがどうも買えずじまいになってしまい、仕方なく自転車で急いで家に帰ろうとしたはずだ。家に帰る途中、スカートの端で口を抑えながら帰る人を見た。

水道水を使うのが躊躇われるということで、冷蔵庫にずっと残っていたお茶(もう誰のものでもない)を使ってカップそばを食べたりした。(これが意外にもおいしかった。)できるだけ被曝は避けるようにしようという意気込みを持っていたせいで、一日ずっと家から出ない日もあった気がする。

だがずっと家から出ないのは無理なので、マスクをしながら外に出ていた。天気予報が雨で、雨による放射性物質の降下が心配される日には、実際夕方から小雨が降ってきてすぐに家に帰りたかったのだが途中自転車で迷ってしまい、場所は住宅地の行き止まりで、暗闇の中に雨が降っている光景に恐怖感を感じた。大げさなようだがあの当時の数日間は、これから日本がどうなるかといった緊迫感が常にあったのだ。だが実際には危機感を持っている人はそう多くはなかったようで、後に車の窓を開けて走る人を見て、みんな呑気なんだなあと思ったことは憶えている。

雨に濡れたあと風呂にも入らずに眠ってしまって、その次の日だと思うが脛の皮膚がまるで鱗が剥がれるように剥がれてしまい、これには驚いた。あと憶えているのは、サイゼリヤに行きドリンクバーのお湯を飲んだ時、金属の味がしたことだ。後でツイッターで見た投稿には、そういった金属の味がするのは、原発放射性物質と一緒に原発から放出された物質のせいではないかという情報があった。

鼻血が出たという報告もあったようだが、私にそれはなかった。ただ喉がイガイガするといった症状はあって、そうした書き込みは2chに多くあった。実に関東にも放射性物質が降下したという事実はデータでもわかるのだが、こうした実体験も証言として残されるべきだと思う。

靖国神社訪問記

こちらのエントリの続きで、今年二月のときの体験です。)

一度は行ってみようと思っていた。東京九段下にある靖国神社である。今まで何度か前や近くを通ったことはあったのだが、中に入ってみることはなかった。だがその後政治的な靖国問題に関して関心を持つにつれ、暇があるときに一度足を踏み入れておこうと思い、この度訪れることになった。

最初に書いておくと、私は政治的な靖国問題に関しては高橋哲哉の『靖国神社』にほぼ同意している(ほぼというのはあまり細かく検証するといった作業をしていないからだが)。だがそれとは別に、実際に靖国神社とはどのような場所なのかという関心があったのだ。

訪れたのは二月の冬の日である。ちなみにラブライブ!神田明神とセットで行こうと思いつき、神田明神のあとに靖国神社まで歩いて行ったのだが、足が疲れてしまったため神保町駅から一駅ではあるが地下鉄に乗ったのだった。

半蔵門線九段下駅の出口から出て、坂を上るように歩いていく。神社の前に着くと、近くに幼稚園か保育園があるのかわからないが、親子連れで制服を着た子どもたちの姿が多く見られた。スマートフォン(その時はデジカメを持ってくるのを忘れてしまっていた)で大鳥居を撮影しながら、その下をくぐった。

神門に続くまっすぐな道を歩くと、途中に何かの像があった。大村益次郎という人物の像らしい。まだ前に進む。神門の前。写真で見たことのある菊紋が施された扉である。そこで既に参拝をすませ、中の方に向かって礼をしていた明らかに右翼の人が二人いたが、それ以外にそうした人は見受けられず、境内にいたのは皆普通の人たちだった。ベビーカーを押して来ている人もいる。冬の日の平日なので騒がしいところは何もなく、やはり普通の日に訪れるのがいいようだ。終戦記念日にはコスプレをした人たちが集うというが、さすがにそんな場にはあまり居合わせたくない。

二月なので当然まだ桜は咲いてはいないが、名所だけあって木は多い。春になればこの桜が一斉に咲くのだろうと想像する。

さて拝殿の中に入り、すでに本殿に向かって参拝をしている人の列に並んだ。近くには警備員の人がいる。私の前の人たちはみな参拝の作法を守り、二礼二拍手一礼といった手順を踏んでいる。前の人の参拝が終わり、私の番になる。そうして私は本殿の前に立ったが、それからはただ中をじっと見つめるだけだった。そのとき後ろに並んでいる人は誰もいなく、ただ一人近くにいる警備員の人を意識してしまう。その時に考えていたのは警備員の人は私が何か破壊的行為をしでかすのではと警戒しているのではないかとか、実際にそんなことをしたら捕まってそれからどうなるんだろうかとか、もっとも礼もなにもしないような人間も中には何人かいるのではないかとか、警備員の人もそれはわかっているから特に珍しくもないのではないかとか、そういったことを考えていた。そうして私は参拝をせず、賽銭も入れずその場を後にしたのだが、それが靖国だからというよりは、私は神社で作法を守って参拝するのが苦手なのだ。神々や神仏を迷信だと思っているとかそういうことではなく、形だけ礼をして願い事を唱えるのが(私の方でうまく信仰心を沸き起こすことができないといった理由で)どこか儀礼的なような気がしてしまうのである。

その後は絵馬のかけられたスペースを探したが、それは神社の隅に置かれているだけで、覗いてみたものの絵馬にはいたって普通の願い事だけが書かれ、右翼的、国粋主義的なものは一つも見つけることができなかった(ただそうしたものはあったとしてもここには飾られないのではないかと感じた)。遊就館にも行こうと思っていたのだが(入館料800円を払うのは気が進まないものの)、もう体力が残っていなかったため断念した。その後は脇の道から本殿の裏のほうに行ったもののそこから外に出ることはできず、神社を一周したあとに南門から出て、帰りは市ヶ谷駅から電車に乗った。

さて実際に靖国に行ってみて、神社としてのクオリティは高いと感じた。だがそれと政治的な問題としての靖国をどう考えるかは当然別である。

 

時に戦争神社と揶揄されることもある靖国神社だが、実際の神社の外見からそう思わせるものは何もない。ただ他の神社と違うのは警備員がやや多い、といっても普通神社に警備員はいないが、本殿のところに一人、他にもう南門に一人いたくらいだろうか。

だから政治家が靖国に参拝することは問題がない、ということではない。私が感じていたのは靖国の信仰内容と、実際の神社の姿との乖離だった。私が思ったのは結局ここはただの神社にすぎない、ということだったのである。

靖国神社の昔の写真があるが、写真で見る靖国神社の大鳥居に、私は不気味さを感じていた。現在のように隣に大きな道路が走っているわけではなく、何もないところに建つ鳥居は象徴的で、その風景は人々の心象に作用したのではないかと想像する。私にはそれが実に、聳え立つ死の門のように見えていた。(事実、多くの人が死の門をくぐったのである。)

私はまた靖国の信仰に対して、〈虚無の宗教〉を感じていた。国家によって死者対して栄誉が称えられ、顕彰がなされる。その信仰が保たれるためには、国家は永続的であらなければならないし、また超越的なものでなければならない。だが重要なのは諸宗教と違い、その信仰は来世における栄光を約束し得ないという点だ。そのような宗教では、死そのものを絶対化するような信仰が現れるに違いない。まさにそれが靖国の信仰であり、それはより虚無の信仰に近づくのだ。

昔自転車旅の途中で、広島の原爆ドームと、長崎の原爆死没者追悼平和祈念館に立ち寄ったことがある。(旅の最終地点は長崎だった)。訪れたのは夏だった。原爆ドームの周辺ではそれなりに緑の木々が繁茂していて、それがいわゆる鎮守の森のように思えた。また長崎の平和祈念館ではどことなく暗所の中に光が瞬くような、そんな工夫のされている施設だったと記憶している。両方ともその時は心を動かされるものがあり、何かしらの宗教的な感情を持つことができたのだ。

私が靖国に対してそうした感情を持つことができないのは、英霊に対する信仰も、感謝の念も持っていないせいなのだろうか。きっとそうなのだろう。だがここは実際の悲劇の現場ではなく(無論東京では多くの人が死んでいる)、特攻隊が飛び立った場所ではない。戦争の歴史に私は詳しくなく、実際に特攻隊員の感情がどのくらい靖国に結び付いていたのかもわからない。

だが私は私の感情を靖国に結び付けることはできない。たとえ戦場での死者と特攻隊員の感情が靖国にあったとしてもである。この場所に桜が咲いても、他の神社での場合と同じように、それをただ美しいものとして、戦争の死者(靖国によって選ばれた死者)とは何の関係もないもののように眺めるに違いない。

もっと戦争の歴史に詳しい、例えば左翼の人がこの場所に来たらどのような感想を持つのか聞いてみたいと思いウェブを検索したが、やはりそのようなサイトは見つけることはできなかった。

 

疲れていたため千鳥ヶ淵には行けず、結局遊就館には行けずじまいになってしまった。いつかは義務感からまた行くことになりそうだ。折角なので桜の咲く頃にでも行ってみようとも思うが、やはり人が多い日には行きたくない。

未来に残すべきアニメ12作

未来に残すべき、というのは放っておくと絶滅しそうだから保護してやる必要がある、という意味合いで用いている。なおここで紹介したすべてが傑作というわけではない(だいたい面白いと思うけど)。普通こういうのはちゃんと作品を紹介するテキストを書くものだと思うが、面倒なのでやらない。また国内作品のみ紹介している。

 

1.白蛇伝

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日本初の本格的カラー長編アニメーション映画。有名だけど始祖ということで。

 

2.幻夢戦記レダ

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有名OVAビキニアーマー。ヒロインの陽子はかわいい。内容は素晴らしい。

 

3.地球物語 テレパス2500

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これぞ幻の作品。私は昔の新宿TSUTAYAのアニメコーナーで、うろ覚えだが"幻の一本"といったようなコーナーがあり、そこで知った。検索したらYoutubeニコニコに本編はないまでも動画があってびっくり。ちなみに私はVHSを所持している。友人二人に見せたら好評だった。

 

4.ドラゴンズヘブン

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1988年発のOVA。何故か前半に本編とは関係ない実写パートがある。金髪のねーちゃん(ヒロイン)が野外で風呂に入るシーンがエロい。アニメ美術はフランスのメビウスの画風にそっくり。本当のメビウスの絵を見たいならルネ・ラルーの「時の支配者」を。

 

5.フイチンさん

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これも全然知られていない。良作。杉並アニメーションミュージアムで公開されていてそこで見に行った。声優のお二人が来場していた。

 

6.シスター・プリンセス Re Pure

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もっとも影響を受けた作品。AパートのストーリーズとBパートのキャラクターズの構成に分かれる。最近シスプリ15周年で無印の方のアニメと合わせたブルーレイが出た。だが金がなくて買えなかった。

 

7.恋風

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ガチ近親相姦アニメとして好奇な目で見るような受容のされ方をしてしまった。だがプレスコ方式で収録がされていたりガチ作品なのである。私は12話と13話でボロクソに泣いた。思えば私が(映画を劇場で見る場合を除いて)アニメで泣いたのはこれくらいかもしれない。

 

8.絶対少年

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 NHKで放送した地味なアニメ。とにかく退屈である。特に田奈編は何をやっているのかいまいちわからない。しかし横浜の横浜再現度は凄い。また横浜ヒロインの谷川希紗は体臭ヒロインとして有名であり、それだけでも見る価値はある。

 

9Malice@Doll

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これぞ傑作。2001年発。小中千昭脚本。DVD収録のインタビューによればチェコのイジー・トルンカパペットアニメーション的な表現が目指されたようだ。このころ国産の3Dアニメが色々作られていたようだが、これ以外は見なくていいと思う。ところで小中千昭は今何してるんだ……

 

10.シャングリ・ラ

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面白い。面白いエンターテイメント。私が最初から最後まで面白く見ることができた数少ない2クールものかもしれない。

 

11.Aチャンネル

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第1話を見たときは美麗な背景美術に大変つまらない話が展開され、最初これは環境映像なのかと思った。だがその後は面白さがわかり最高の日常系アニメだと思う。

 

12.グラスリップ

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言わずもがな

 

これNAVERまとめとかにしたほうがいいのかな……そうすれば本当に残るか?