宇宙の片隅の記

放置プレイブログ

ミュシャ展 国立新美術館 感想~スラブ叙事詩は最接近で見よ~

国立新美術館でやっているミュシャ展に行った。このミュシャ展はスラブ叙事詩がメインの展示なのであるが、例によってこのブログではスラブ叙事詩が何なのかといった解説は一切しないので他を参照されたい。

チケットを買う時にそのほうが多かったので皆同時にやっている草間彌生展の方に行ってしまったと思ったのだが、入ってみるとやはり会場には人が多い。スラブ叙事詩には実に多くの人が描かれていてこの人の多さが絵と同様にこの展示空間を絵画的世界の一部たらしめていて、そのため人の多さは歓迎すべきと無理に思おうとしたが、やはり難しかった……

さてこのスラブ叙事詩、とにかく絵がでかい!のである。

他の美術展では皆絵に近づきすぎもっと離れたほうがいいのではと思うことが多いのであるが、このスラブ叙事詩は皆絵から離れているのである。それというのも絵の大きさゆえにそうしないと全体が見えないので、それもそうだと思われる。

私は歴史に興味が薄く、解説パネルはほとんど読まなかった。そのせいか、私は絵の中に入りこもうとするのだが、いまいち入り込めないような、そんな気がしていた。1600円払って来たのは失敗したかなと思ってしまったのである。

昨日はほとんど寝ていなかったこともあって眠い。休憩コーナーに置いてあるソファで少し眠ることにした。

そして起きたときには絵を楽しむ方法を思いついていたのだった。

スラブ叙事詩は最接近で見よ。これである。

これが非常に効果的だった。絵に張り付くようにし、たとえ全体が見えなくても上の方などは顔を上げて鑑賞するのである。今まで絵にどうも入り込めないと思ったのは、この方法を採っていなかったからだったのだ。このようにして絵を見れば、まるで自分が実際に絵に入り込んだ感覚で見ることができる。そうして絵に描かれている人や静物をつぶさに見ていくのである。まるで実際にあった場面をスコープで除いているような、そんな感覚だ(実際にギャラリースコープを用いて鑑賞していた人は多くいたわけだが)。絵には一体何の場面が描かれているのかはさっぱりわからないものの、実際にあった歴史を垣間見るような感じである。

絵の大きさについて、我々はとかく大きなサイズの絵を傑作と讃えるのではあるが、このスラブ叙事詩はその通り大きさがそのまま本質になっているといえる。というのは上記のように等身大に近いサイズで描かれていることが、鑑賞者が絵に入り込むための装置として働いているといえるからだ。

結果としてミュシャ展は非常に楽しめた。またとない機会なので大変おすすめである。

その後は公募展の光風会展に行ってみた。エリア広すぎ!絵多すぎ!これはひとつひとつ見ていくのは大変だ……!

今回はミュシャ展の会場で寝てしまったこともあり美術館に4時間かもっといたかもしれない。これはおそらく美術館にいた時間の最長記録だろう。

 

当時はもっとブログに書けるような内容の文章が浮かんだのだが、時間が経ったらほとんど忘れてしまっている。やはりブログは即時更新しないとだめだなあ……