宇宙の片隅の記

神秘主義的思考により世界・社会・実存について考える

3・11とその後の数日の記憶

その時は埼玉にいた。電源コンセントの使えるマクドナルド(16号深作店)でノートパソコンを使っていたのだが、昼過ぎに強い揺れがあり、中にいた全員が店の外に出た。

ノートパソコンを置いてきたので取りに戻り、それから店は閉店になった。家に帰る途中で確かスーパーベルクスだったと思うが、前を通るとやはり多くの人が店外に避難しているのが見えた。

その後は部屋で眠ったのかもしれない。そして弟から電話があった。地震で大変なことになっているが、大丈夫かと言う。

私は部屋にテレビを置いてなく、全くそんなことになっているとは思わなかった。持っているのはガラケーしかなく、ワンセグで報道をちらりと見たような気がする。アパートの一階では、状況を伝えるテレビの音が聞こえていた(当時私が住んでいたのは古いアパートで、廊下は家の中で共有されていて部屋は別々、といった形態のものである)

大宮のデニーズに行った。ここで北に向かうために足止めされている多くの人がいて、皆は意気消沈した表情をしていた。私はここで伊坂幸太郎の「ゴールデンスランバー」読んでいた。これは仙台を舞台とした小説で、どうしてファミレスで読書などをしていたのかといえばこれは私のいつもの習慣で、単に暇だったのだと思う(ゴールデンスランバーを読むのはその時初めてで、現実の状況と重ね合わせて楽しむといった趣向ではもちろんない)。東北に知り合いのいない私は、仙台在住の伊坂幸太郎は大丈夫だろうかということを考えた。その時は現実の東北がどれほど大変なことになっているかということは、全く思わなかった。

次の日コンビニに行くとスポーツ新聞の見出しに、「列島決壊」といった文字が並んでいた。私は驚いた。死者は数百人に達するかもしれない、と漠然と思ったように思う。やはりこの時も震災の死者・犠牲者がそんなものではないとは考えなかったのである。

それからの記憶は順番が前後するようで曖昧だ。テレビがないせいでうまく情報を収集することができなかった(携帯電話のワンセグで見ていたと思うが、画面の小ささと映像が途切れるせいでそれほど見ている時間は長くなかった)。私が体験した事柄と記憶は言うまでもなく限定されたもので、埼玉県の一地域にいたという事実と、あとはそのときの極めて個人的な状況に限られる。

私は2chの掲示板で情報を収集した(ツイッターのアカウントは持っていたのだが、そちらの方はほとんど見なかった。ただ一度原発事故の対応を巡って、政府や東電の対応がこれほど悪いとは……といった投稿をした気がする)。私は原発放射能に対していわゆる「危険厨」になっていた。

3月13日、この日は福島第一原発の事故による放射性物質が関東にも降下した日と記憶している。なにかその日はいつもと違うような、悪い予感を感じたのは確かだ。早くマスクを購入したかったのだがどうも買えずじまいになってしまい、仕方なく自転車で急いで家に帰ろうとしたはずだ。家に帰る途中、スカートの端で口を抑えながら帰る人を見た。

水道水を使うのが躊躇われるということで、冷蔵庫にずっと残っていたお茶(もう誰のものでもない)を使ってカップそばを食べたりした。(これが意外にもおいしかった。)できるだけ被曝は避けるようにしようという意気込みを持っていたせいで、一日ずっと家から出ない日もあった気がする。

だがずっと家から出ないのは無理なので、マスクをしながら外に出ていた。天気予報が雨で、雨による放射性物質の降下が心配される日には、実際夕方から小雨が降ってきてすぐに家に帰りたかったのだが途中自転車で迷ってしまい、場所は住宅地の行き止まりで、暗闇の中に雨が降っている光景に恐怖感を感じた。大げさなようだがあの当時の数日間は、これから日本がどうなるかといった緊迫感が常にあったのだ。だが実際には危機感を持っている人はそう多くはなかったようで、後に車の窓を開けて走る人を見て、みんな呑気なんだなあと思ったことは憶えている。

雨に濡れたあと風呂にも入らずに眠ってしまって、その次の日だと思うが脛の皮膚がまるで鱗が剥がれるように剥がれてしまい、これには驚いた。あと憶えているのは、サイゼリヤに行きドリンクバーのお湯を飲んだ時、金属の味がしたことだ。後でツイッターで見た投稿には、そういった金属の味がするのは、原発放射性物質と一緒に原発から放出された物質のせいではないかという情報があった。

鼻血が出たという報告もあったようだが、私にそれはなかった。ただ喉がイガイガするといった症状はあって、そうした書き込みは2chに多くあった。実に関東にも放射性物質が降下したという事実はデータでもわかるのだが、こうした実体験も証言として残されるべきだと思う。