宇宙の片隅の記

神秘主義的思考により世界・社会・実存について考える

救わなきゃ(使命) メサイアコンプレックスについて

メサイアコンプレックス、略してメサコンとは何か。人によっては聞きなれない語かもしれない。私がこの言葉を意識したのはツイッターでマンコマン氏が使っておられたからだが、この記事を書くのが遅れるに遅れたためそれももう昔のことになってしまった。まあそれはどうでもいいが、おそらくこのメサコンという語は一種のパワーワードになり得る語であり(まあならないだろうが)、本当にまあどうでもいいのだが、ということで今回はメサイアコンプレックスについて考えてみたい。

さてメサコンの一般的な意味については各自ウェブの記事を読んでいただくとして、ここでは実際のメサコンというよりも、主にフィクションに現れたメサコン(と思われる事象)について考えてみたい。だがどうもこのメサコン、そこらへんの界隈では特殊な意味合いで使われているような気もするのだが、特に正確な定義もせずに話を進めていきたい。

どうもメサコンではなく救世主願望のような事例のほうがわかりやすい気がするのだが、まずこれとメサコンとの違いについて記すと、まあ救世主願望というような語はないがヒーローになって世界を救いたいというような他愛のない願望はそれなりに見られるだろうということで、そうやって尊敬されたいとか、異世界で無双して異性にちやほやされたいとか、そのようなヒーロー願望なのだろう。

実際にそんな願望を持っている人間がいたらそれはまあ単に妄想だろうが、メサコン(特に男性)は実際に多そうである。メサコンとは実に自分が救われたい願望を抱いていることが特徴であるように思われる。それは誰か相手を救うことで自分自身もともに救われたいという感情なのである。

さてここでフィクション作品のメサコンについて考えてみよう。というとすぐに思い浮かぶのが美少女ゲームブランドのKeyの主人公かもしれない。これは評論家の宇野常寛がマッチョイズムとかポルノファンタジーという語で批判した対象になるのだが、メサコンもそれに近しい関係にあると思われる。

私はkeyについてあまり詳しくないので麻枝准脚本のアニメAngel Beats!を取り上げたい。いい機会なのでここでABに対する自分の感想を書いておくことにしよう。ABには変なギャグが多く私はそのギャグも好きで最終話までは大変面白く見ていて、最後はいわゆる神アニメになることを期待したのだが、やはり最後の最後で落胆があった。というのはこの作品の結論はやはりいつもの麻枝のパターンで変わってないなと思ったからで、その他にはドナー登録に関しての考えの違いなどもあるのだが、麻枝がドナー登録を肯定的に捉えている理由は生命倫理に対する思想というよりやはり誰かを救いたいという感情の表れなのだろうが、それはまあいいや。

この作品の主人公である音無結弦は最終話にとった行動で視聴者からクズだのなんだの散々叩かれたのだが、ヒロインの奏に対して下心があったというのはそうなのかもしれないが、やはり奏に対してメサコンを発揮したと見るべきだろう。たとえ下心があったとしても私が共感してしまったのは一緒にこの世界で暮らそうとか愛してるとか言いきってしまったところで、私はなんて正直な男だろうと思ってしまったのである。今思えばABはその、相手と一緒にいたいという感情が引き裂かれていくところに意味があったというかとも思うのだが、といってもこれは麻枝のいつもの展開なので何も新しいことはないのかもしれないが、私などはそこが突破されることを期待してしまったため、最後はやっぱりこうなるのかと思ってしまったのは確かである。そしてまたやっかいなのは一視聴者たる私のほうがフィクション作品のキャラクターが救われることで自分自身も救われたいというメサコン感情を発揮してしまい、実にこれがフィクション作品に対するメサコンなのだが、そうなるともうどうしようもない。私は主にアニメ作品とキャラクターに対してもうずっとそんな感情を抱いてしまっているのだが、さすがにちょっとこじらせすぎだろう。 

もうメサコンは関係のない気もするのだが麻枝准の次のアニメ作品であるCharlotteについて一応書いておくと、やはり最初は面白いものの中盤から終盤にかけて面白くなくなっていき最終話は全然納得できなかったのだが、これは麻枝准が今までに作品内で用いてきた「奇跡」を否定する話だ、という感想を前に見かけた。ずっと麻枝准を追っていた人はそのようなメタ的な内容を読み取るのかもしれないが、それは私が思うに内輪の事情であり、私などはねこねこブログさんにあるように強いパターナリズムを肯定する話にしか見えない。たとえもっともらしい解釈ができても肝心のお話がだめだめならばどうしようもないではないか。

 

話が逸れた。ここでメサコンに戻りもう一つの作品をあげる。ライトノベルでアニメにもなった『ココロコネクト』である。主人公の八重樫太一は困っている人間を見ると放っておけず、それならば自分がかわりに不幸になったほうがいいという感情を持っていて、これは消極的なメサイアコンプレックスと見るべきだろう。

太一のメサコンは永瀬伊織というキャラクターに対して特に発揮される。この永瀬伊織という子は過去にいろいろ事情があって、複雑な問題を抱えている。そりゃ太一はメサコン発揮しちゃうような子で、これは救いたい、むしろ私に救わせてほしいと思わずにはいられないようなキャラクターである。それは単に永瀬伊織が可愛いからで私はメンヘラ好きでもなんでもないのだが、それはまあいい。

ココロコネクトのアニメにはなかったが(アニメ化はされていない部分)、ノベルの方には太一が「俺は地球を救いたい」といって皆から大笑いされる場面がある。ノベルは途中で読むのをやめてしまったが、そのシーンは実に素晴らしいと思った。読んでないから想像でいうのだが、これは太一がメサコンを脱皮しより大きな使命に目覚めたと見るべきではないか。そのように皆から笑われても信念を貫徹する人間が遂にはなにかを成し遂げるのである。

 

やはり真のメサイアになって世界を救っていくしかないなTwitterでのマンコマンの言)

 

やはり八重樫太一のように地球を救いたいという一見誇大な理想を持ちながら、だが過度な妄想や独善的なエゴイズムに陥らないように気をつけ、日々努めていくべきであろう。