宇宙の片隅の記

神秘主義的思考により世界・社会・実存について考える

人間関係および恋愛の関係について考えた

前エントリから記事を分割して追記しました。)そんなこんなで色々あって、療養のためにとある温泉施設に行き、そこで風呂につかりながら人間関係とはどういうものだろうと考えていたわけです。

そして思ったのはつまるところ人間関係というのは、どのくらいの頻度でその人に会うということでしかないのではないだろうか。物理的な距離と精神的な距離ということを考えると、例えば友達でもなんでも誰かがいたとして、物理的な距離が遠くてもその相手との精神的な距離が近ければ頻繁に約束して会ったりするのだろうし、逆に物理的な距離が近くても精神的な距離が遠い人ならたとえ同じ町内にすんでいても全然会わなかったりするのだろう。(この話は人間関係といっても職場や友人の間のコミュニケーションの話ではありません。)

それで友達の場合、たまに会って話すといっただけの間柄でも誰かと永続的な関係を築いていけるのだろうかと考えると、私にとってはとても難しいわけです。もともと人づきあいが駄目だしもちろん今も頻繁に会う友人は一人もいなく、東京に住んでいた時は友人は少しはいたのですが、一人は突然電話がつながらなくなり蒸発しました。といってもその人ともう一人の共通の友人も連絡先は教えてもらってないので、私が嫌われたわけではないと思います。

まあそれは余談ですが、この前友人と電話で話した時に(人間同士の関係について)私は結局のところ恋愛しかないということを主張したのですが、私のように普段一人でいることが苦にはならない、だけどいつも一人なのはつらいし時には誰かと関わりたい、そうした人間が一気に恋愛の超越性のほうに向かってしまうのは、どうしてなのでしょうか。それは詰まるところ、今自分はこんな状況で人と関わりもうまくできないけれど、いつかは空から美少女が降ってきてそれが運命の相手で、あとは何もかもがうまくいくというようなオタク的願望のように思うのですが、ここではもう少し別の角度から考えてみます。

私が最終的なところ恋愛しかないと思うのは、恋愛という要素がないと人間のあいだの強制力が働かないと思うからです。東浩紀の著作「ゲンロン0」第二部に家族の話があり、家族という関係は強制力が伴うといった意味合いの論が展開されていて、これは私の周辺ではずっと話題になっていたわけですが、恋愛はまさにそうした強制力を伴ってまあ差し当たり世間一般の恋愛のゴールは結婚ということで家族という関係になることで落ち着くわけです。また遠距離にすんでいても恋愛感情があれば会いたいと思えるだろうし、そうして結婚すれば結局はずっと一緒にいるわけで、物理的な距離は最も近くなり、そして精神的な距離も近くなるのが幸せな結婚なのだろうが、そうした結婚生活を実現している人はいないわけでは全くないというか多くはなくてもそれなりにいるはずので、やはり恋愛しかないんじゃないでしょうか。もちろん恋愛になんの期待もしないという人はいると思うし全然かまわないのですが、そうでないと私の場合、誰か友人との関係の場合ですが人とのあいだの強制力がとても弱いわけです。人と会うことが好きでそれで何人もの人と会って関係を作っていくといったことができる人がいることはわかりますが、自分には無理だし、一人でいたほうが気楽だし、だけど誰か相手がほしい、でも積極的に友人と会いたいとは思えない、そうした人間が取れる方法は最終的に恋愛になってしまうと、これは論理的に考えてどうしてもそうなってしまうと思うのですが、まあこれは人によって違うと思うので、どうにかして終の相手を見つけるしかないんじゃないでしょうか。

あと今の世の中、彼女はいるけれどそれよりも同性の友人同士の関係のほうがいいというような人が多くいるらしい。ここでは男性に限定しますが、相手が女だと話は合わないし、面倒だし、それよりは友達と一緒にいたほうが楽しいし気も楽でいいという。私にとってはそれは贅沢というか、私自身がそんな状況に陥るとは考えられませんので、積極的に人と関わりが持てる人とそうでない人とでやっぱり二極化していませんかね。あと思うのは、友人同士で会ったりする意味はどうしても情報交換とか直接的なコミュニケーションが主目的になるように感じます。どこかの居酒屋やカフェで会って「やあ、最近どうしてる?」「実はさ~」といった会話が始まるみたいな。勝手な憶測で書くのですが、恋する相手に会うというのはそれとは違うところがあって、何はなくともただ会いたい、そうした感情のほうが先にある気がします。情報交換を目的としたコミュニケーションとは別の精神的感応があるというか、別に焦ってコミュニケーションをとる必要がないというか。私は普段読書等でファミレスを利用しているのですが、そこで見るカップルは特に何も話さずただ一緒にいるといった人たちを多く見かけました。それが結婚後の倦怠期のような状態ならどうかと思いますが、付き合っているころから言葉を交わさずともどこかわかり合えているという、長年連れ添った熟年夫婦のようになってもいいんじゃないでしょうか。

さて実際に夫婦となって家族になるとなると、随分と共通の経験をしていくはずで、子供ができれば共に成長を見守ることになるはずだし、夫婦間に先に書いたような精神的感応が生まれるのでしょう。ということで私のような人間が恋愛を望んでしまうのはやはり理にかなっているというか、その理由は説明できたと思うので、もはやどうしようもないという感じですね。